提言18: 学力向上の基本は児童生徒の生活の改善充実
現在、学力向上が大きな課題になっている。新学習指導要領でも、その「改訂の経緯」において示しているように、いわゆる「知識基盤社会」を生きていく力として「確かな学力」を重視している。更に、OECDのPISAなどの各種調査から、我が国の児童生徒については、例えば、「思考力・判断力・表現力等を問う読解力や記述式問題、知識・技能を活用する問題に課題」があると指摘されている。
新学習指導要領では、このような課題意識を基盤に各種改善を示している。その中には、「必修教科の教育内容や授業時数の増加」「創意工夫を生かした時間割りの弾力的編成」等、システムの改善・整備に関しての多様な方策が示されている。
学力向上は、学校教育の一貫した課題であり、学校として多様な方策を活用することは重要である。各学校のこのような点での創意工夫に大いに期待するものである。
同時に我々東京都教育会は、毎日の教育実践から次のように考える。「すべての児童生徒が、将来に希望を抱き、温かな人間関係を維持し、自然や社会の諸現象に興味・関心を抱き探究しようとする意欲を持っていることが大切である。このような精神的に健康な児童生徒は、自発的・積極的に学習し、その結果、学習成績も向上する」。
「学力向上のための基本的方策としては、児童生徒の生活の改善・充実が何より重要である」。
この考えに基づき、ここでは学力向上に連結する児童生徒の生活の改善・充実について提言したい。
【学力向上に連結する生活の改善・充実を実現する13の観点】
1. 規則正しい生活―精神的な健康こそ大事
2. 迷いや葛藤の自力克服―現代の人間の課題を自己指導力で
3. 教師への信頼・親近感―語り合いが大事
4. 友人との好ましい関係―自分らしさを大事にしながら仲良く
5. 本来期待される家庭の雰囲気―温かな人間関係・教養的雰囲気
6. 地域での健全な生活―日常生活での交流・文化の共有
7. 将来への明るい希望―自己肯定感を基盤にキャリア設計
8. 新鮮な感覚―これが学習への意欲の出発点
9. 真面目さ・粘り強さ―学ぶ楽しさには粘り強さも重要
10. 読み書きを愛好する―すべての学びの原動力
11. 自然・芸術への関心―学習意欲のもとはここにあり
12. 家庭学習は各自の計画で―学校での指導も大事
13. 情報化社会への対応―情報選択能力の育成
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1規則正しい生活―精神的な健康こそ大事
人間生活ではこれが基本。児童生徒の場合でも、家庭の状況により、規則正しい生活を維持するのが難しい状況もある。例えば、共働きなどで、就寝や夕食・朝食の時間が不規則になることもあるが、極力配慮することが必要である。今日では、それ以上にテレビやゲームに夢中になって児童生徒が深夜就寝をして睡眠不足になるなどの実態がある。これは、ただちに改善する必要がある。また、土・日曜日や長期休業中の生活はつい乱れがちになるが、この点も十分配慮する必要がある。規則正しい生活こそ、精神的な健康維持の第一の方策であり、これなしに学力向上はない。学級での、この点についての的確な指導も期待される。
2迷い・葛藤の自力克服―現代の人間の課題を自己指導力で
「小学校学習指導要領解説・道徳編」(平成20年8月)では、道徳の時間には、「次のような要件を具備する教材を選択するよう心掛ける」として次のように示している。
ア)児童の感性に訴え、感動を覚えるようなもの
イ)人間の弱さやもろさに向き合い、生きる喜びや勇気を与えられるもの
ウ)生と死の問題、先人が残した生き方の知恵など人間としてよりよく生きることの意味を深く考えさせられるもの
エ)験活動や日常生活等を振り返り、道徳的価値の意義や大切さを考えることができるもの
オ)悩みや葛藤等の心の揺れ、人間関係等の課題について深く考えることができるもの
カ)多様で発展的な学習活動を可能にするもの
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児童を現代社会で必死で生きている一般の人間のひとりとして、その課題を提示している。この奥深い人間観に共感する。このような課題に直面する児童生徒を、温かく指導・支援することが学力向上という意味からも重要である。
3 教師への信頼・親近感―語り合いが大事
前述のような課題に対処し学力向上を図るために、今、教師と児童生徒の向き合う時間の確保が重視されている。向き合い、語り合うことが人間形成という意味から極めて重要である。学校経営としては、そのための時間・場の確保が重要になる。両者の意味のある語り合いの基盤をなすものが、児童生徒の教師への信頼・親近感である。教師の人間としての誠実さと人間教育の専門家としてのきめ細かな配慮が必要になる。何をいかに語り合うかについての学校としての組織的な研究が重要になる。また、教師個人としての、例えばカウンセリングなどの研修も重要になる。
4 友人との好ましい関係―自分らしさを大事にしながら仲良く
今、児童生徒にとって、真の友人が少なくなっているのではないかと我々は憂慮する。
真の友人とは、まず本音で語ることができる。同時に、友人の本音の語りに誠実に耳を傾ける。
その上で、いかに生きるかを共に探究し相互に支援し合いながら生きていく。これが真の友人であろう。
今、携帯電話を通じて友人と語り合う姿が目につく。しかし、これは本来の友人関係ではない。直接に語り合うことこそが、
友人として特に重要になる。
教師は、このような発想から学級経営に配慮する、あるいは友人関係の形成に配慮することが必要である。
これによって獲得できる精神的な安定感が、学力向上をもたらす。
5 本来期待される家庭の雰囲気―温かな人間関係・教養的雰囲気
親子一緒に食事をする。食事をしながら、学校での話、友達関係の話、楽しいこと困っていることを皆で語り合う、その中で、親は自然に、褒めるべきところは褒め、注意すべき所は注意する。こんな風なごく自然な家庭生活が種々の事情からなかなか送れないでいる実態がある。家庭での人間関係が希薄になっているという見解を聞く。テレビばかり見ている。食事を終えるとすぐ自分の部屋に閉じこもっている。親子・兄弟の間でさえ、一種の儀礼主義(リーチュアリズム)が広がっているという指摘もある。温かな人間関係を形成したい。同時に、児童生徒にとって家庭は単にくつろぐだけのところではない。学びの場でもある。それにふさわしい教養的な雰囲気の形成も家庭に期待される。
6 地域での健全な生活―日常生活での交流・文化の共有
ローカル・コミュニティの変化は多くの人が指摘している。確かに、地域の人との日常生活での親密な交流・相互支援の関係は希薄になりつつある。日本各地で、歴史を経て自然に形成されてきた伝統的地域が、今、崩壊しつつある。これは、児童生徒の健全な人間形成にとってマイナスである。安全の確保についての憂慮もあるし、児童生徒が周囲のことに関心を持たなくなるという課題もある。電車の中で、多くの青年が携帯電話にのめり込んでいるという異様ともいうべき光景と共通するものを地域での児童生徒の生活スタイルに感じる。日常生活での自然や社会への興味・関心が学習意欲の基本であるとすると、周囲のことに関心を持たなくなった児童生徒は、学習意欲を喪失していることとなる。
7 将来への明るい希望―自己肯定感を基盤にキャリア設計
社会の変動が激しい。どういう方向に変化するのか誰も分からない状況でもある。しかし、人間は生涯にわたる自分の学習計画を自分なりにデザイン(設計)することが、今、求められるようになっている。発達段階に応じて、自身どういう勉強をしようとしているのか、そのためには、どのようは工夫が必要かについて、教師が指導することが有意義ではないか。
このようなキャリア設計への教師の支援が、各児童生徒の学習意欲を喚起する上で極めて重要である。
8 新鮮な感覚―これが学習への意欲のスタート
自然や・社会や文化と出会った時、青少年独特の新鮮な感覚で、驚き・感動・好奇心・興味・関心・探究意欲等を抱く。この新鮮さが学習意欲の出発点になる。ところがこの点での心の新鮮さ、柔らかさが弱くなっているように感じられる。新しいものに出会っても心が動かない児童生徒が増えているような気がする。生活全体を、もっと生き生きとした新鮮なものにすることが求められる。多様な自然や社会と出会う体験を積ませることなどが必要ではないか。
9 真面目さ・粘り強さ―学ぶ楽しさには粘り強さも
真面目さ・粘り強さを教育の場であまり重視しない傾向がある。学びは元来楽しいものであるが、その楽しさはゲームをする楽しさとは別である。地味に粘り強くコツコツやっている内に、じわっと感ずる楽しさである。それは奥深い喜びであるが、そこへ至るまでの真面目さ・粘り強さが重要である。学習場面での活気と秩序維持の両方が必要になる。
10 読み書きを愛好する―何と言ってもこれが学びの基本
社会の現状をみると、大人も読書離れの傾向にあると言われている。保護者が家庭で本を読むなどの習慣はあまりないかもしれない。世界・日本にすぐれた児童文学がある。これらに接触するチャンスを、すでに朝読書などとして設定している学校もある。また、家庭学習への課題として読書を指示している事例もある。図書室担当職員・司書教諭との協力体勢の整備などに配慮しつつ、もっと読書の楽しさを実感できるように指導体勢の整備に配慮したい。
また、その際、書く・表現するという活動も学力向上という意味において重要であり、全教科でこの点についての指導計画の充実に配慮したい。
11 自然・芸術等への関心―学習の意欲のもとは ここある
都会だけでなく、農村の児童生徒達も自然に関心を持たなくなったと言われている。動植物の成長や変化など観察すれば無限の面白さがあるはずなのに、無関心な児童生徒が増えている。また、音楽・美術その他広い意味での芸術に関心を示す児童生徒も少なくなっている。美術の展覧会を開催しても、高齢者の来館は多いが、児童生徒の参観は極めて少ないという。このような面での無関心は、人間性の貧弱な姿であり、学習意欲の衰退に直接的につながる。学校・家庭でこのような体験の機会を多くすることが、学力向上という意味からも重要である。
12 家庭学習は各自のペースで―学校での指導・支援も必要
発達段階に応じて内容・方法は多様であるが、毎日、家庭においてなんらかの学びを行なうことが重要である。この点について、学級担任や教科担任の児童生徒に対する、さらには保護者に対する支援が必要になる。また、土曜日・日曜日・長期休業中の学習への指示なども重要で、この面での指導・支援の在り方について、各学校で組織的に研究する必要がある。なお、小学校高学年や中学生になると受験のために塾にいくケースも増えつつある。家庭学習は、基本的には各児童生徒の自主的計画に基づくべきものであるが、そのための指導・支援が教師の役割として重要である。
13 情報化社会への対応―情報選択能力の育成と人間的な温かさ
情報化社会をどう生きていくかが、いかに学ぶかと深くかかわってくる。学ぶとは、基本的には課題を解決するために思考すること、つまり、情報を操作することである。だとすると、ICT抜きの学習は成立しないこととなる。そのために必要なテクニックの指導を行なうことが重要であり、その観点から学習活動を新たに構想することが期待される。同時に、現実から遊離した情報だけが交流することにならないよう配慮することも重要である。そのためには、学習において、具体的な状況で課題を解決し、人間らしく温かく生きていく体験をさせることが重要になる。この点で、教育課程の計画・編成において慎重な配慮・工夫が必要になる。
以上、13項目にわたって提言を試みたが、現場の校長先生方のご意見やご感想をいただければ幸いである。