学校は、理不尽な要求をする保護者の対応においても、児童生徒の問題行動の指導においても、また、いかなる場面においても、教師は人間関係を大切にするよう配慮するとともに、適切な指導を行う能力を身に付け、対処することが求められる。
人間関係を大切にする対処法とはどういうことか。学校は、緊急事態発生時であれば毅然とした態度で対処することになるが、明らかに相手が間違っていると思われる場合でも、そのことを敢えて指摘せず、寛容に受け止め、相手の態度を許して怒りや悩みの受け皿をつくる。相手の話に耳を傾け、納得の得られる説明に努める。当然のことながら、決して感情的にならず、冷静で真摯な態度を貫く。どの教師にもこうした能力が備わっているよう、この面での能力開発を重視すべきである。児童生徒の尊い命を預かる学校は率先して、この課題解決に努めていかなければならない。
1「先生の教え方がよくわかるし、学校が楽しい」
と、いえる日常の教育活動の充実に努める。と同時に、依然として多発傾向にある児童生徒の問題行動、その中でも特に指導困難な事例の対処に、教育的配慮、手続的保障の精神が貫かれていることが重要である。教師は保護者、児童生徒との良好な人間関係を遮断してしてはならない。
つぎは、教師が児童生徒との人間関係を大切にする対処能力が重要であることを示す指導事例である。
ある小学校に4月に異動してきた主幹教諭が着任直後の全校朝礼でのあいさつの際、数人の6年生が話を聞かず、おしゃべりを止めなかった。「そこの6年生は前に出て来なさい」と大声で呼び出し、一人ずつ名乗らせただけでなく、朝礼後も校庭に残して厳しく注意した。実はこの児童らは4年生の頃から卒業までの3年間、授業中、教室を抜け出し校内を徘徊するなど、教師の指導に従わず、再三、保護者の来校を求めて実情を訴え協力を仰いだが、親子の協力が得られないまま小学校最終の学年となった。転任して来た教職員にはこの児童らの情報は伝えられていた。
態度が悪いのを注意するのは教師として当然であるが、この対処法が果たして適切であったか。その年の夏休みに、何者かがこの小学校校舎内に侵入し消火器を持ち出し、地域の公園トイレの壁などにふり撒く事件が発生した。侵入者の中に朝礼時に名指しで厳しく叱責された児童ら(当時は中学1年生)が含まれていたとの目撃証言があり、「この行為はあの朝礼時の叱責など、これまでの教師の対応への不満が引き金になったのではないか」というのは、事情を知る数人の教師の話からの判断である。
朝礼時の指導が「この子らを立ち直らせたい」との願いからであっても、「今回は注意だけにするが、次に同じことをやったら許さない」と、朝礼後に残して注意するなど、たとえ児童らの態度が間違っていても、寛容に受け止め、怒りの受け皿を作ってあげたい。人間関係を大切にするような配慮をすべきではなかったかと考える。
2 保護者や児童生徒の主張や弁解をよく聴く「教育的配慮」、「手続的保障」の重視
授業妨害、校内徘徊、校内暴力、器物損壊など多くの場合、児童生徒がやった行為の違法性が問われるが、その指導に当たって校長の裁量権が広く認められており、学校がとる教育的配慮は後々、考慮される。またその程度、正当性も当然のことながら問われる。
ここでいう「手続的保障」とは、端的にいえば「段階を踏む」ということである。いきなり強い対応をするというのではなく、徐々に弱い対応へと段階を踏む対処法である。誰も繰り返し処分は受けたくない。もう繰り返すまいと改心の情を促すことにより立ち直り、人間関係を修復することができる機会を与えるのが大切である。互いに努力してこそ教育的な配慮といえる。
3「教育的配慮」の内、教師間の情報の共有、保護者対応の配慮事項
(3-1)全教職員の連携、情報を共有するための創意工夫が大切
学級担任だけが得られる情報は極めて少ない。何か問題が生じたとき、問題解決のヒントが少ないために、問題の解決が遅れたり、別の学級で同じような問題が以前、生じたにも拘らず、それを知らなかったために、解決のためのノウハウが生かされなかったりすることがよくある。多忙な中でも全校の教職員の連係、情報の共有の重要性をすべての教師が痛感している。
この改善策として「指導事例集」(部外秘)を活用している事例を紹介する。事例の発端から経過、対応とやりとり(誰が何と言ったか、○○先生はどのように説明したかなど)は、、後日、参考になる。その記述内容は裁判のとき、和解調停の重要な証拠となったこともあるほど記録を保存することが重要である。その場の雰囲気など、状況が読み取れる、ありのままの描写も記録する配慮が必要である。副校長、生活指導担当主幹(主任教諭)が保管し、閲覧できるようにするとよいであろう。
こうした「事例集」の活用は、どの校種にも共通した課題であるが、特に、小学校においてより効果的と考えるが、各校の実情、条件などに即した創意工夫が求められる。地教委事務局でも活用しており、各学校、地域住民・保護者・関係機関等との対応の状況を記録したものを活用し、よりよい教育行政を目指しているという。
(3-2)学校における児童生徒の問題行動発生時の指導上の留意点
教師は、できる限り速やかにその児童生徒に対する指導を行うとともに、保護者の協力を得て、立ち直りを促すことが肝要である。この保護者との連携に際し、保護者をいわゆる「学校に呼び出す」ということがよく行われているが、教育的配慮に欠けた対処であり、厳に慎むべきである。
「授業中に教室を抜け出し校内を徘徊し教師の指導に従わなかった」、「○○くんは、トイレでタバコを吸ったので、おうちの方に学校へ来て戴きたい」と電話をかけて保護者を学校に呼び出す教師、学校が少なくない。
学校管理下の校内外で発病・けがなど、緊急事態なら別である。生活指導上の保護者への対応の手段としての「呼び出し」は、以後の学校・教師と家庭・保護者・児童生徒との良好な人間関係、協力関係を維持できるか、疑問が残る。
このような場合、保護者の都合を確かめ、教師自らが家庭を訪問し、たとえ問題となる行為であっても、状況を丁寧に説明し、同時に保護者の受け止め方、家庭での様子、今後の子どもの立ち直おりについて、学校と家庭との協力関係が一層強くなるよう努めたい。呼び出すことと教師の家庭訪問のいずれが、保護者が真剣になって学校と協力して、子どもの立ち直りを進める気持ちになってもらうことが期待できる教育的配慮であるかは自明であろう。
保護者は「学校へ呼び出された」場合、学校の門をくぐるのも、玄関の敷居をまたぐのも、今まで以上に「高く」感じ、法廷の被告の心情を無理やり味わわされる。学校・教師はこのような配慮を欠いた対処をすべきではない。家庭を訪問し、「親の再三の忠告も上の空でタバコを止めないので、親として困っています。先生、どうしたらよいでしょうか、お教えください」と、悩みを打ち明ける保護者と、「ご両親と学校の教師が、お子さんが立ち直るように協力しましょう」と今後の協力を誓い合う。保護者は、「学校への呼び出しは、親が被告」。でも「先生がお忙しいのにわざわざ家に来てくれて、親と一緒になって子どもを良くしてくれる、まるで地獄で仏とはこのこと」と、学校・教師の配慮に心から感謝し協力を約束してくれるであろう。こうした配慮ができる教師のいる学校こそ、児童生徒や保護者に信頼され、子どもたちが愛着を持ってくれる学校といえよう。