提言31: 朝読書は生きる力をはぐくむビタミン剤 (2011/2/9 記)
1. 朝読書の意義
今、方々の学校で「朝読書」が進められている。いろいろな意味で有意義な活動という 評価がされているようである。
朝読書とは、小・中・高校の各学級・ホームルームで、毎朝、10分程度の時間を設定し、各自が持参した本を自由に読むという活動である。このような教育活動としては、1988年、千葉県の私立船橋学園女子高校(現東葉高校)で全校一斉に行なわれたのが始まりとされている。担当したのは、同校教員の林 公氏と大塚笑子氏であった。その後、マスコミでも報道され、その趣旨に賛同する多くの学校がこれにならい、朝読書を始めるようになったとされている。
その意義・目的・成果等については、いくつかの見解がある。
林公氏は、次のように述べている。
「もともとこの実践は、本を読む子を育てたくて始めたわけではないのです。」「子どもたちに元気がない。子ともたちを元気にできることは何だろう。(中略)唯一効果があったのが『朝の読書』だったのです。」「受験勉強に疲れ、勉強嫌い、学校嫌いになっている高校生たちに、今を生き抜く力を身に付けてほしいと願ったからでした。」(下掲:註1)
実践上の原則として、林氏は、次のように述べている。
「朝読書の方法としては、朝読書の4原則(みんなでやる、毎日やる、好きな本でよい、 ただ読むだけ、」(下掲:註2)
さすがに、この論には説得力がある。特に、「好きな本でよい、ただ読むだけ、」は、読 書の真髄をついていると考える。
次に、以上の論を踏まえつつ、同時に、実際に朝読書を実践している学校の教師の意見 なども参考にして、その意義・期待される効果について見解を述べる。
2. 読書の意義
これについては、多くの人が多様な見解を述べているが、ここでは、現代日本の青少年 の生活・心・学びの実態からみて、読書の意義について提示してみる。
(2-1) 多様な生き方があることに気が付くこと
すぐれた文学の魅力の一つに、多様な魅力的な生き方があることに気が付くというこ とがある。それは、「自らいかに生きるか」を考える契機になる。
芸術に生涯を捧げた人もいる。スポーツに生涯を捧げた人もいる。世のため他人のために生涯を捧げた人もいる。児童生徒自身が自分の将来を考える時、読書で知りえた世界が重要なヒントになる。
今、キャリア教育の意義が強調されている。そのため、職業体験をさせる活動が各学校 でなされている。それはそれで意味があるが、本を読んで多様な魅力的な生き方があるこ とを発見し、自らのこれからの生き方について発達段階に応じ、それなりに考えるように る。これに対し、適切な指導・支援をするのがキャリア教育の中心的な課題ではないだろうか。
(2-2) 自然・社会・人間の豊かさや魅力に気が付くこと
すぐれた書物の多くは、自然の魅力、芸術の美、そして何よりも人間らしい生き方のへ の感動を記述している。それまで、花の美しさ、太陽の輝き、植物の成長、そして人間の生き方などに、関心のなかった児童生徒が読書を通して、そういう世界もあるのだということに目を開かされる。
(2-3) 他者との共生の意義を理解すること
人は、生涯他の人との交流を通して生きていく。そこで、自分らしさを何よりも重視し つつ、他の人との温かな心の交流を図り、相互に支援し合って一緒に生きていけるような 人間関係を形成したい。すぐれた読書には、その課題を基本に据えて著者自らの考えを叙述しているものが多い。他者との共生の意義を読書で実感できる。
読書は、著者との対話という側面もある。人は、本を読みながら、著者の意見に納得し たり、時には反対したりする。だから、本には時に書込みがなされる。読書を通して、こ の世において人はいかに生きるべきかを著者と一緒に考えるようになるのである。
(2-4) 家庭の大切さを理解すること
家庭での読書環境が、児童生徒の人間形成にかなり重要な意味を持つ。大人が何を読むかは、もちろん各人の自由でとやかく言うべきことではない。しかし、児童生徒にとって、親が読書にどう向き合っているか、家庭にはどういう本があるかが人間形成という意味において重要になる。
家庭・家族は児童生徒にとって最も大事なものであるが、同時に、発達に応じて次第に独立していくものである。その関係の変化が、確実に有意義に行なわれるかどうかが、その人の生き方決定に重要な意味をもつ。この課題も書籍の重要な課題であることが多く、発達段階に応じて然るべき書籍と交流を図ることが重要になる。
娯楽としての読書も当然あるわけであるが、青少年に読ませたくない本についての家庭内での扱いは慎重に考えたほうが良いであろう。家庭内での児童生徒に購入してやる本の選定などについて、また、図書館の利用などについて配慮することも必要になる。これを学級・学年の保護者会などで、話題として提示し、皆で意見交換をするなども有意義ではないだろうか。
(2-5) 生涯読書の習慣を身に付けること
人は生涯、毎日の日常的な生活をしっかり送ることを基本に生きていくことが大切である。真の読書を通して、空想の世界に入るのではなく、現実生活を確実に送ることの意義・喜びに気付くこととなる。人が人間らしく生きようと思えば、生涯、良い本を読むことは続けなくてはならない。学校での朝読書はその習慣の基礎をつくることとなるであろう。
3. 実践上の工夫
(3-1) 本の選定についての教師の役割
基本的には「好きな本でよい」のであって、児童生徒自身の選択を重視することが適切であろう。しかし、良い本との出会いは人生の大きな転換期になる場合もある反面、質の悪い本との出会いはマイナスの影響を与える。そこで、教育活動としては事前に良い本を選定するためのガイダンスをすることが適切ではないかと考える。
では、どういうガイダンスが望ましいか。それは発達段階に応じて異なる。例えば、小学校低学年であれば、世界の童話の古典的な名作を紹介する。あるいは、明治以来の日本の児童文学のすぐれた作品を紹介する。当然、漫画のようなもの、単に興味を惹くだけの芸術性の乏しいものは除く。何を読むかは、各自の自主性に委ねるという原則は大事ではある。本との出会いのようなものがある。幼少期のすぐれた文学との出会いは、重要である。その経験がないと結局、つまらない時間つぶしの読書の経験だけで終わってしまう。
やはり、児童生徒自身が自主的に選ぶのを原則としつつも、教師の適切な指導・アドバイスや情報提示が必要ではないかと考える。
(3-2) 学力向上との関係での配慮
朝読書を契機に、多くの児童生徒が読書に関心を持つようになっているが、一部に学力向上への期待との関係で、これがなかなか広がらない動きもあるようである。
「近年では、朝の読書活動を推進してきた教育行政の動向にも変化が見られる。具体的 には、朝の読書の実施から、いわゆる朝学習(国・数・英に関連する三科目のドリル学習)へと転換する学校が増加の傾向にある。」(下掲:註3)
この傾向は、高等学校で特に顕著になっているという見解もある。各種調査でもそのよ うな傾向が指摘されている。これをどうみるか。「意義とねらい」のところで示したように、いかに生きるかを読書を通して真剣に考えるようになる。そうなれば、いかに学ぶべきかも主体的に考えるようになり、学習への意欲も高まる。また、学習は言葉を通して行なわれるものであり、読書を通して読解力を向上させることは、学力の向上に直結するものでもある。
(3-3) 読後の活動
朝読書は、児童生徒に課題を課すという雰囲気であってはならない。児童生徒が自由に自発的に読書に没頭する時間であるべきである。したがって、課題を課すなど、例えば読後の感想文を書かせるというようなことは基本的には避けるべきであろう。
しかし、反面、せっかく読んで感動したことを他者に語るという活動もなかなか有意義 な面もある。読後の感想など自由に語り合う時間を設定したらどうか。
学校のカリキュラム・デザインとしてそのため、独自の時間を設定するなどの工夫も有効ではないか。そこで、読んだ本を手がかりに教師と児童生徒が語り合うというような活動も考えられる。
(3-4) 学校図書館の役割
今、学習活動として、児童生徒の自発的な課題意識に基づく主体的な探究活動の意義が強調されている。学校としてこの際、学校図書館・図書室の役割について、あらためて検討してみることが有意義であろう。どういう本を整備するか。活用についてどう指導するか。特に、授業での多様な学習活動に対応できるような本の整備と、活用についての教師の指導の充実が期待される。児童生徒の主体的な探究活動のセンターとしての学校図書館・図書室の役割について、学校としてあらためて確認することが今、求められているといってよい。
この際、司書教諭・図書館担当職員の役割について、あらためて研究することも大切ではないか。修得した知識を活用して課題探究の学習の充実が強調されている現在、その 視点からの研究は有意義である。
≪ 付記 ≫
本論述は、「日本生涯教育学会論集31」(2010年度 日本生涯教育学会)の、次の二つの論文を有力な参考として記述している。執筆者に感謝したい。
「朝の読書の効果に関する議論について〜朝の読書関係単行書における説明の分析〜」 薬袋秀樹(筑波大学)(註1)・(註2)は、同論文からの引用。
「『朝の読書』に関する縦断的研究の試み」中村 豊(関西学院大学)(註3)は、同論文からの引用。