提言36: 【緊急提言3】 想定外を加味した学校の災害訓練を見直すのは今だ!
〜 大津波と原発事故を教訓に生かそう 〜 (2011/5/6 記)
3月11日の午後に発生した東日本大地震による大津波とそれによる福島第一原子力発電所の事故という未曾有の天災と人災の複合災害は、我が国に大きなダメージを与えた。世界で五指に入る想定外の巨大地震後に起こるM7.0級の余震が4回発生、M6.0以上の余震では77回を数え、過去3年の月平均の約50倍に上ったと気象庁が発表した。
今回の大震災は、人智を超えた自然の力を見たような気がするし、天から人智の限界を突きつけられたように思える。我々はあまりにも「機械」文明に寄り添い過ぎたのかもしれない。
我が国観測史上最高値のM9.0の東日本大地震は海溝型地震だが、これまでの研究で「静岡県から四国に続く海域で近い将来に大きな地震が発生する確率が高い」と専門家は危惧していたのだが、研究者も予想し得なかった超巨大地震であったといえる。
三陸海岸はほぼ1000年の周期(弥生時代、平安時代、2011年)で巨大津波に襲われたという記録がある。国の地震調査研究推進本部が、宮城県沖から福島県沖まで連動する巨大地震を高確率で予測していたことが分かった。宮城県には2月に事前説明を終え、福島県にも3月中に説明する予定だった。専門家からは公表を目前にして東日本大地震が起きたことについて「大きい地震が発生する可能性を事前に伝えていれば…」と悔しがっている。
加えて、4月7日夜半、震度6強、M7.4の余震が宮城県沖で発生、津波被害はなかったものの、400万戸が停電した。東大地震研究所では、今後も数ヶ月から1年後にM8.0級の余震が起きることも十分にあると、警戒を呼びかけている。
ちなみに三陸海岸を襲った38m超の巨大津波が、東京湾近辺を襲う最悪の想定をしたときに、自然災害の脅威に身が震える。
今回の巨大地震と大津波の被害を教訓にして、各学校では防災教育や安全教育を根本から見直すことが急務であることを緊急提言する。
1.毎月の避難訓練を早急に見直す
各学校は教育課程に位置付けて毎月避難訓練を実施しているが、大別して地震発生と火災発生時の避難訓練である。また、9月の防災の日に連動した総合避難訓練は、児童の引き取り・引き渡し訓練や町会・自治会が実施する防災訓練に参加するものがある。児童・生徒にとって自らの命を自ら守る避難訓練は学校で最も大切な学習であるといえる。教職員も児童・生徒もこのような認識に立って、各学校は防災・災害訓練を再考する機会と捉え、多様な実施計画を立案しなければならないと考える。校務分掌における生活指導部内の安全教育係だけでなく、校長をトップに置いた校内安全・防災委員会などのプロジェクトチームを立ち上げるなどして万全を期してもらいたい。
名称をこれまでの避難訓練を防災(災害)訓練と改めたいほど喫緊度が高い。
※参照 ━ 「安全教育プログラム(都教委2011.03)」「地震と安全(都教委22年度版)」「学校危機管理マニュアル」
(1-1)通常の立地にある学校の防災(災害)訓練を見直す視点
●停電、断水、断ガスのときの対応策
●備蓄倉庫の日常的な点検補充などの管理 ━ 児童生徒及び帰宅困難者や避難者を想定した水、食料、毛布等の備蓄
●公的表簿の保管金庫等の点検整備
●緊急連絡網の整備
●児童生徒の引き渡し、引き取り、校内留め置きのルール
●情報の活用管理 ━ 風評、デマ情報等、電話の不通時の対応、 ネットでのメールやツイッター、iフォン利用など
●放射物質・放射線への対応 ━ 文科省が提示する放射線基準に則って屋外活動の規制、屋内待避、飲食物の摂取規制など
▼状況別の訓練の例
子ども達が体育館にいるときの対応
バスケットゴールの下から離れさせ、中央に集合させて揺れが収まったら校庭に避難させる。
授業中とくに理科実験などで火を使っているときの対応
即「火を消しなさい」と指示を出すことが火災を引き起さないですむ。教師が消すか子どもが消すかは様々だ。都市ガスは「揺れ」で自動停止するが、アルコールランプや希塩酸などは要注意だ。最も大切なのは臨機応変に対応することである。
今後は、どの教室でも緊急地震速報の音声装置の設置が求められよう。
子どもを学校に留め置くときの対応
地震発生時に児童・生徒が学校に居り、保護者が帰宅困難者となった場合、原則として学校に宿泊させるのが原則だ。児童・生徒の心の動揺を沈静させる担当、情報を収集する担当、水・食料・毛布等の物資担当など教職員の役割分担が必要である。
登下時(通学路)における対応
登下校時に震度5以上の揺れに遭遇したときは、児童・生徒はどういう行動をとるだろうか。小学低学年は、泣き出してパニック状態になったり自宅に戻ったり、学校へ急ぐ子など様々だろう。▽下校時を想定してみよう。まず新学期に保護者が学校に届け済みの通学路に関しては、児童・生徒はこの通学路で登下校することになっている。実際通学路は数多くあろうが、サンプルとして通学路の近くの公園・広場など物が倒れてこない、落ちてこない「安全なスペース」を実視させることが肝要である。ビルが立ち並ぶ市街地における通学路では、上方からの落下物、あるいは路上に設置されている自動販売機、コンクリートブロック塀などに可能な限り近づかないことも体験させる。できれば小学校の場合は保護者の参加が望ましい。「子ども110番の家」も確認させる。通学区域が広く、電車通学も多い都心部の学校は、何かがあれば近くの学校や駅員等に助けを求めるよう指導しておくことが大事だ。登校時においてもこれに準じた訓練をしておくことを忘れないことだ。
社会科見学等で引率中に足止めになったときの対応
●管理職と教員は間違った情報に惑わされず正しい情報を取ること
●引率人数の確認が先決
●状況によって帰校か現地に止まるかは、校長の最終判断による。泊まる場合は、近隣の学校や公的機関、その他の施設等に避難する手立てを考える。
●保護者への連絡は原則として学校からだが、個人の携帯電話等でも可能。しかし、実際は電話等は通じないことが多いことを念頭に入れておくべきだ。
学校が避難所になったときの対応
指揮系統の明確化と地元自治体との分担・仕分けにおいて自治体の防災計画では、避難誘導の指揮を執るのは担当する自治体の職員であり、避難所の運営管理では教職員は後方支援とされている。実際は自治体職員が避難所に駆けつけるのは難しい。子ども達の安全確保に専念すべき校長と教職員が現場判断で避難者全体を動かさなければならないことも起こる。校長は、実態に応じて「衛生・安全」「物資」「食料」などの担当を教職員に割り振ることが大事だ。
今後、学校避難所の運営のあり方を自治体・地教委と見詰め直し、災害時における学校の対応力の強化を図っておくことが求められる。
(1-2)海岸・大規模河川に近い立地にある学校の防災(災害)訓練を見直す視点
都会地であっても海岸や河川に近い学校は、高潮、津波を想定しておくべきだ。
●人命確保を最優先する
都会地であっても海岸や河川に近い学校は、高潮、津波を想定しておくべきだ。
●重要な表簿は堅牢な金庫に保管する
都会地であっても海岸や河川に近い学校は、高潮、津波を想定しておくべきだ。
●高所への最短避難経路を確定しておく。児童・生自身で避難経路を辿らせることも重要である。
(1-3) 湾岸地区の埋立地にある学校の防災(災害)訓練を見直す視点
東日本大地震で、千葉県浦安市などで大きな被害が出た液状化現象が、湾岸の埋立地域少なくても東京、千葉、神奈川の1都2県の11市区で発生し、約1100棟が損壊したほか、道路・通路の段差、泥水で公園などの公共施設も使用不能となるなどした。都内では、江東区の沿岸部で大量の土砂噴出、江戸川区では住宅8棟の損壊、港区・中央区・大田区の地割現象が確認されている。
▼ 液状化対策
埋立地にある学校は、液状化現象によるライフラインの損壊や建物の倒壊、傾き、道路・通路の段差、泥水を想定しておくべきだ。
東日本巨大地震では震度5前後の揺れに止まった首都圏の学校でも建物の照明器具や内壁材が崩落し、児童生徒・学生が死傷をする事故が起きている。現在耐震化が進められている構造本体に比べ、天井や壁、設備機具の落下など非構造部材による危険が改めて浮き彫りになっている。(例 千代田区にある九段会館の天井材落下)
大きな構造体である体育館の天井に留意しなければならない。落下の確率が高いのが天井ボード・骨材、照明器具類、ついで内壁(特にモルタル、タイル、レンガ)、ガラス窓などである。3月23日文科省調べでは23都道府県の国公私立学校5819校に物的損害が生じたという。
火災、地震・津波、不審者侵入等を想定した年11回のたゆまぬ防災訓練が不可欠。時には抜き打ち訓練や子ども達自身で避難経路を辿らせることも計画したらどうか。
2.岩手県、宮城県の被災地の教訓から学ぼう
東日本大地震による津波で大きな被害を受けた岩手県釜石市と大船渡市で津波に備えた知恵や工夫が奏功し、多くの子ども達の命が救われた。
死者・行方不明者が1200人以上に上った釜石市で、登校していた児童・生徒のほぼ全員の無事が確認された。同市では、2005年から防災教育に力を入れており、その1つが「津波てんでんご」だった。この合言葉は、過去に度々津波に襲われた苦い歴史から生まれた言葉だ。
◆「津波てんでんご」とは
「津波のときは、たとえ親子であっても構わないで、てんでばらばらになって早く高台へ行け!」という意味を持つ。
次に示す事例は、全国の学校にとっても参考にしたい「教訓事例」である。
1)たゆまぬ避難訓練が児童全員を救った!
大船渡市立越喜来小学校(海抜0m)は3階建て校舎。巨大津波に襲われた同地区にいた71名の児童と13名の教職員計84名は無事避難できた。
2010年10月に完成した避難用スロープが迅速な避難に役立ったのだ。揺れが収まったら避難開始。2列に並んでスロープを渡り、市道100mを通って海抜200mの三陸駅まで早歩きした。この間約10分。校長はさらに10m高台にある公民館へ移らせる判断をした。同校ではこれまで海側の出入口を通って校舎を半周して市道に出ていたが、高台に避難するには時間がかかり過ぎるという保護者の声で市は約400万円かけてスロープを造ったのである。これで校舎から駅まで徒歩6分(200m)から3分(150m)になった。
3月11日の2日前に震度3の地震のときも、このスロープを使って避難したという。「本当にスロープをつけておいてよかった」と校長は言う。
2)家族が互いに信じ合い、てんでばらばらに高台へ避難
岩手県釜石市立釜石小学校は、この日は短縮授業のため、184人の児童の約8割が帰宅していた児童らは「津波てんでんご」に従って高台へ逃げて全員無事だった。
家族は互いに「必ず避難してくれている」と信じ合っていることが大切である。同小は高台に駆け上がる避難訓練のほか、算数の授業に津波の速度計算を取り入れたり、道徳の時間に津波の話を扱ったりしてきた。また学校だけでなく、自宅から避難できる高台を歩いて探させたり、地図に記す防災マップつくりにも取り組ませていたという。
3)互助の心を大切にした小中連携訓練を実施
校舎の3階まで津波が来た釜石市立釜石東中学校は隣接する鵜住居小学校と日頃から災害訓練を同時に実施してきた。東中は地震直後に校内放送設備が故障し、避難を呼掛ける放送ができなかった。しかし生徒たちは訓練どおり校舎や体育館を飛び出し、隣の校庭に出て非難しようとしていた同小の児童たちの手を引きながら高台の方へ逃れたのである。辿り着いた峠は、学校から2km以上離れていた。泣き出す低学年生を励ましながら歩いている姿が目に浮かぶようだ。「普段の授業では、想定を超える津波も発生すると幾度も言ってきたが、これだけ多くの子ども達が助かったのは奇跡に近い。自分の判断でよく対処した」と指導に当たった教師は子ども達を高く評価している。
4)津波を想定した校舎建築
宮城県山元町立中浜小学校は海岸から約200mの立地にあるため、校舎建築の際、標準的な校舎設計を変更して、津波のエネルギーに逆らわない構造にした。当初、町議会の反対にあったが町長がそれを押し切って、建築した同校の校舎が唯一破壊されずに残った。
いま日本人の生き様を冷静に見つめたときに、欲しいといえば何でも手に入る社会はごく当たり前の社会だと思ってきたが、今回の日本という国家のあり方の基本が崩れた。国に頼らず各人が自分で考え、行動する習慣を身に付けなければならないと考える。
自然は決して待ってはくれない。東海沖地震の発生予測が危険モードに入ってきたといわれる現在、先へ先へと万全を期すアクションを起こさねば、大切な日本の宝である子ども達の未来はない。
(小松左京の小説「日本沈没」が、現実のものにならないためにも〜!)