提言46: 知識基盤社会を構築する学校教育の在り方 (2012/3/3 記)
本会ホームページの「提言16:知識基盤社会における教育」において、「知識基盤社会の教育では、単に知識の量を増やすのではなく、『生きる力』の育成を基本理念として重視していること、生きる力を構成する要素として、『幅広い知識・柔軟な思考力・創造性』等がある。」と述べている。また、「提言 ]]]U: 問題解決の授業をデザインしよう!」では、「知識基盤社会の時代においてますます重要となる「生きる力」を育成するためには、児童生徒の主体的な実践的活動を中心においた学習が不可欠である。」と提言している。
この2つの提言に基づいて、「知識基盤社会」を構築するために学校教育はどうあればよいかについて見解を述べてみたい。
1. 知識基盤社会とは
「知識基盤社会」は、2005年の中央教育審議会答申「我が国の高等教育の将来像」で示された文言で、21世紀は、「知識基盤社会(knowledge-based society)」の時代であると述べている。そして、「知識基盤社会」とは、「新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す社会」であると定義している。
このように、「知識基盤社会」に関する中央教育審議会答申が「我が国の高等教育の将来像」に示されたということは、まず、大学教育等の改善を強調したものと考えられる。しかし、答申に示された基本理念は、小・中・高等学校・大学等、一貫したものであり、生涯にわたって知識を創出することを重視していかなければならない。
学校教育においては、幅広い知識・柔軟な思考力・創造性等を踏まえ、自ら課題を探究し、未知の問題に対して柔軟かつ総合的な判断をして解決する意欲に富む国民を育成することが急務である。
2. 「生きる力」を育成する教育
「知識基盤社会」を生き抜くには、新しい学習指導要領においても踏襲された理念「生きる力」を育成することが重要である。
文部科学省は、新しい学習指導要領を「ゆとり」か「詰め込み」かではなく「生きる力」を育成する教育とし、基礎的な知識や技能の習得と思考力、判断力、表現力の育成を強調している。
1970年代までの日本の教育は、「詰め込み」教育が主流であった。知識は教師から児童生徒に与えられるものであり、児童生徒は知識をひたすら頭の中に詰め込むこと、いわゆる暗記に力を注いできた。そして、この知識を定着させることが、学習過程においては非常に重視されてきた。まさに知識重視型の教育であったと言える。
与えられた知識では、新たな問題や学習に当たって、生きて働くことにつながらない。また、児童生徒の柔軟な思考力や創造性を培ったり、学習意欲の向上や学習習慣を形成していくことにも十分に機能しない。
「ゆとり教育」は1980年度、1992年度、2002年度から施行された学習指導要領に沿った教育である。中央教育審議会や文部科学省が「ゆとり」を重視した学習指導要領を導入し、2002年度から実質的に開始された。学習内容の大幅な削減、完全学校週5日制の実施、総合的な学習の時間の新設等、これまでの学習指導要領に比べて大幅に改訂された。
「ゆとり教育」の目的は、学習時間と内容を減らし、児童生徒の学習の負担を軽減し、そのぶん心の余裕を確保し、より自由な発想を培い、国際社会で通用し得る真の学力を育成することであった。しかし、OECD 生徒の学習到達度調査(PISA)において、特にPISA2003、PISA2006の結果から、日本の児童生徒の低迷している学力は、論理的思考力、文章や図の論理的な解釈や論述等であった。また、学力が世界のトップレベルから転落しているという現状が明らかになった。
詰め込み教育からの脱却を図った「ゆとり教育」を掲げた学習指導要領の下で、小学校6年生の時から教育を受けてきた世代であったが、十分な学力が身につかなかったという結果を示唆したことになる。
小学校は2011年度より、新学習指導要領に基づいた教育が行われている。「知識基盤社会」を生き抜くことができる「確かな学力」の育成を目指して、学校の総力をあげて取り組んでいかなければならない。
「生きる力」と「変化に対応するための能力」は下記のように示されている。
生きる力
● 確かな学力
基礎・基本を確実に身に付け、いかに社会が変化しようと、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力
● 豊かな人間性
自らを律しつつ他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性
● 健康・体力
たくましく生きるための健康や体力など
変化に対応するための能力
● 基礎的・基本的な知識・技能の習得
● 知識・技能を活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力など
● 学習意欲
3. 知識を創出する教育
社会全体がグローバル化し、競争と技術革新が要求されるようになった現在、幅広い知識の獲得、柔軟な思考力を培う活動を通して、新たな知識を創出することが重要になっている。それには、知識の量だけを学力とするのではなく、新たなものを創造する能力や論理的思考力こそが、「確かな学力」であるという「学力観」の転換を図る教育の創造を目指すことが重要である。
知識基盤社会では、生涯にわたって学び続けることが必要である。したがって、新たな知識や能力を求める人々の要求にどう応えていくかについても考えなければいけないが、ここでは、学校教育を通して知識を創出する授業について見解を述べたい。
知識を創出する授業の過程は、小学校でも大学でも基本的には同じである。しかし、児童生徒や学生等の発達の違いや既習事項の内容の質や量によって、授業のデザインや進め方には工夫が必要である。
(3-1)小学校における知識を創出する授業
小学校では、2011年4月から全面実施されている「新学習指導要領」(中学校は2012年4月、高校は2013年4月)では、「確かな学力」を目指すことが掲げられている。
文部科学省は、「『基礎的・基本的な知識・技能の習得』とともに、『習得』『活用』『探究』等の学習活動を通じた『思考力・判断力・表現力の育成』が必要である。」と示している。
「習得」と「探究」の基本的な考え方が公表されて以来、例えば、理科教育においては、「先ず教えてから、考えさせる」という「習得」と「探究」を短絡的に捉えた授業が、一部の教師によって行われるようになった。児童が必ずしも必要としていない知識を教師の一方的な判断によって、先ず教えてしまう。そして、その後に児童に考えさせて授業を進めるというパターンである。
「知識の創出」で重要なことは、児童が自ら知識を創り出すということである。それには、児童が学習の対象から捉えた疑問や問題をイメージ化し、それを既有の知識や経験等と関係付けたり、意味付けたりして、対象を解釈していく過程の中で、新たな知識として創出されるべきものである。したがって、獲得されていない知識をまず与えて、既に獲得したものにしようとしても意味のないことである。それでは柔軟な思考力や論理を構成したりすることには役に立たないし、知的体系も創られない。
例えば、理科において、「知識の創出」を図るには、問題解決の授業を通して、観察・実験や自然体験、科学的な体験を一層充実することが必要である。
児童が自ら創出した知識は、自ら活用し、新たな問題に挑戦しようとする意欲の高揚につながる。そして、児童が自ら意欲的に問題解決を進めようとする。したがって、教師は問題解決の授業の過程において、児童と「対象(自然の事物・現象)との出会い」、「対象から未知の問題の発見」、「未知の問題を既有の知識や経験との対比」、「柔軟な思考・判断・表現の活性化」、「観察・実験の計画と実施」、「観察・実験結果の考察」「一連の活動を通して創りあげられた知識」等を、児童と教師の創造活動の場として、総合的にデザインすることが重要である。また、ディスカッションや対話を通して、相手の考えは自分とは異なるが、理解はできるという立場を保持し、柔軟に思考したり、対応したりできる人間関係を築いていくとともに、創造性を発揮できるように配慮し、支援していかなければならない。
児童は、教師との創造活動を通して、探究する問題を既習内容や経験と比較したり、因果関係で考えたり、類としてまとめたりする等、対象に応じてこれまで獲得したスキルを駆使して、意欲的に問題解決に当たることができるようになる。また、相手の思考内容を理解したり、柔軟に取り入れたりすることによって、創出される知識は、相手にも理解され、知識の共有化につながっていく。
教師には、授業の過程に「新たな知識の創出」を図っていく場を、どのような手続きを経て、どのようにデザインするかが問われることになる。
習得型と探究型の教育を二者択一的に捉えたり、教えることが「習得型」、考えさせたりすることが「探究型」等と、安易な捉え方をすべきではない。習得型・活用型・探究型の授業は、相互に関わりながら補強し合い、融合していくにはどうしたらよいか、その学習構造をデザインすることが教師の役割である。
(3-2)大学における知識を創出する授業
2012年2月6日、読売新聞は、「問われる大学の価値」と題して、「世界ランキングで日本の大学は上位に食い込めず、学生の学力低下も指摘されている。卒業しても就職のできない学生が増え、日本の大学の価値が問われている。深刻な状況をいかにして打開するべきか。大学のあり方を論じてきた大学教授3氏にその処方箋を聞いた」として、3氏の意見を掲載した。3氏の意見の見出しは、「生涯を通じ関わる場に」、「独自予算の獲得策必要」、「教員『ムラ社会』を改善」である。この3氏の意見や考え方をまとめると次のようになる。
大学の価値は人が集まって「対話」をすること、対話によって、他人の価値観を理解するとともに、自分の価値観を創りあげていくことが重要である。
大学も、現代の高度に発達した市場社会に生きる1つの組織であることを自覚し、独自の予算獲得方法を考えることが必要である。
1990年代から始まった教養教育軽視は、日本の将来に大きな懸念を抱かせる。
等である。
1998年10月、大学審議会の答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」によると、「大学教育は『知』の再構築が求められる時代といい、知識の量だけでなくより幅広い視点から『知』というものを総合的に捉え直していくとともに、それを踏まえて知的活動の一層の強化のための高等教育の構造改革を進めることが強く求められる時代となっていく」と指摘している。また、「各大学において教養教育の在り方を真剣に考えていくことが必要である」と教養教育の重要性をについても指摘している。
このように、今後の大学教育では、単に知識の量だけでなく、それを基に新たな知識を創出したり、表現したりする「能動的な知」をもつ教養人を育成することが求められる。 それには、講義方式による授業を改善していかなければならない。講義(lecture)は、大学等の高等教育機関における授業の1方法である。大学設置基準(文部科学省令)では、授業の方法として、講義、演習、実験等が定義されている。
講義は教師が自分で作成したノートを読み上げるという一方的な形で行われることが多いようだ。このようなことから、極端な言い方をすれば、「大学には、講義はできても授業はできない教師がいる」等の声も聞かれる。したがって、講義中に、居眠りをしたり、携帯でメールを送ったりする等の学生が出てくるのも不思議な現象ではない。
大学においても、1つの授業科目で、学生が柔軟に思考したり、創造活動をしたりする等多彩な授業の場をデザインしていくことが重要である。
例えば、授業を「『講義・演習・実験』等のテーマを媒介とした教師と学生による創造活動である。」という授業観として捉えるならば、授業は教師の一方的なものにはならない。常に学生と共に授業を創造していくことが求められる。創造的な授業や研究活動は、その過程に学生たちを参加させなければならないからである。
1コマの授業において、学生に創造活動に触れる機会を提供しなければ、柔軟な思考力や創造性を培うことは難しい。また、ディスカッションや対話を通して、他者の考え方や感じ方を理解し、尊重するようにすることも重要である。このような表現活動によっても、新たな知識が創出され、その知識を共有できるようになる。知識基盤社会を生き抜くためには、知識を創出するとともに、知識を共有し、知的体系の構築にもつなげていくことが重要である。
4. 知的体系と価値体系の創出
大学の根本は教育と研究である。教育基本法第七条に「大学は、学術の中心として、高い教養と専門知識を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、その成果を広く社会に提供することによって、社会の発展に寄与するものとする」と明記されている。 したがって、大学教育の使命の1つ目は、「知識の創出」を通して広く人材を育成すること、2つ目は、最先端の研究活動によって「知識の創出」、「知的体系の構築」を図り、真理を探究すること、3つ目は、「知識の社会発信」「産官学連携」「政策提言」等、社会貢献を果たすことである。
知的体系は、「知的好奇心」「既知」「知見」「見識」等が経験を通して、相互に関係付けられた状態のものである。例えば、パソコンの「フォルダ1」と「フォルダ2」、あるいは「フォルダ1」とその中の各「ファイル」等が相互に関係付けられていて、必要とする情報をいつでも取り出し、活用できるように体系付けられたものということができる。
新たな「知識の創出」に際して、「既知」や「知見」として体系付けられている「知識」の中から何を引き出すかを、判断しなければならない。つまり、体系化された「フォルダ」や「ファイル」から引き出す「ファイル」は何かを判断するということである。判断に当たっては、判断の根拠やファイル等の価値は何かを明確にすることが必要である。それを決めていくものが個々の「価値観」である。
知的体系は、児童生徒、大学生、社会人にあっても、経験の積み重ねによって、順次個性的に創られていく。
価値観は、何が大事で何が大事でないかという判断、ものごとの優先順位付け、ものごとの重み付け等を示す概念であるが、個々によって大きく異なる。
最近は急激な社会変革の中で、人々の価値観は多様化し、学校教育の在り方を問われることが多くなってきている。これまでの価値体系が崩壊してきているとも言える。しかし、一方にその価値体系の崩壊に気付きながら、新たな価値体系が創出されているようにも考えられる。その1つの例として、昨年3月11日の東日本大震災後に、多くの人々が、「『生命』や『絆』の大切さを実感した」ということが挙げられる。今、「生命」や「絆」を重要な「価値」として捉えている人々が多くなっていると考えられる。
「生命」について、例えば「生命を生き物が生きている状態」と判断して結びつければ「生物」としての「価値観」を問うことになる。一方、「生命とは何か」について「価値観」を問うことになれば、「生命観」として考えていかなければならない。
このように、目的を達成していく選択判断をする基準が「価値観」である。したがって、児童生徒、大学生にとって、価値観は多種多様であるが、それらはばらばらなものではなく、相互に関わりをもって体系付けられたものにしていくことが「価値体系の創出」である。価値体系も、知的体系と同じように、経験の積み重ねによって、順次個性的に創られていく。
「価値体系」は、新しい経験を重ねていく過程で、「新しい価値観」を創出したり、知的体系と関わったり、分化・総合したりしながらより確かなものになっていくと考えられる。
授業においては、知的体系や価値体系を自分のものとして、創りあげていくことが重要である。知識基盤社会を生き抜くためには、「知的体系と価値体系」の構築がますます重要になってくる。
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