提言64: 児童生徒の生命を守る防災への取り組みの充実を図ろう!
(2013/11/12 記)
1. 「津波による園児死亡は幼稚園の責任」という判決が意味するものは何か
2013(平成25)年9月17日の新聞に、「園児死亡 幼稚園に責任 津波予見できた 1億7600万円 賠償命令」の記事が大きく掲載された。これは、東日本大震災で、宮城県石巻市の私立幼稚園の送迎バスが津波に巻き込まれた事故を巡り、死亡した園児4人の保護者が園側を相手取り、2億6689万円の損害賠償を求めた訴訟に対して、仙台地裁が出した判決である。
この訴訟で最大の争点となったのが、地震発生から約15分後に園を出た送迎バスが、園児を降ろして園に戻る途中で津波に巻き込まれ、送迎バスに乗っていた園児5人と添乗していた女性職員が死亡した事故に対して、送迎バスが津波に遭遇するということが予見できたかどうかということであった。園側は、「予測不可能な異常な津波で引き起こされた不可抗力による事故」と主張したが、仙台地裁は、「巨大な津波に襲われるかもしれないことは容易に予想され、ラジオや防災無線を正確に聞くべきであった」、さらに、「園児は、園長や教諭ら職員に従うほかなく、園長らは園児の信頼に応え、災害情報を収集、危険性を具体的に予見し、危険を回避する最善の措置をとる注意義務を負っている」と指摘、その上で、「元園長はラジオや防災無線で津波警報などの情報を積極的に収集しようとせず、高台から低地帯に向けてバスを発車させるよう指示し、情報収集義務の怠りがあった。収集を怠ったことと園児らの死亡とは相当因果関係がある」と結論付けたのである。
園側は、「予測不可能な異常な津波で引き起こされた不可抗力による事故」と主張したが、仙台地裁は、「巨大な津波に襲われるかもしれないことは容易に予想され、ラジオや防災無線を正確に聞くべきであった」、さらに、「園児は、園長や教諭ら職員に従うほかなく、園長らは園児の信頼に応え、災害情報を収集、危険性を具体的に予見し、危険を回避する最善の措置をとる注意義務を負っている」と指摘、その上で、「元園長はラジオや防災無線で津波警報などの情報を積極的に収集しようとせず、高台から低地帯に向けてバスを発車させるよう指示し、情報収集義務の怠りがあった。収集を怠ったことと園児らの死亡とは相当因果関係がある」と結論付けたのである。
その結果、仙台地裁は「当時の園長が津波に関する情報収集を怠った結果、園児の津波被災を招いた。園側には安全配慮義務違反による損害賠償責任がある」との判断を示したのである。
地震後の積極的な情報収集に園側の努力が十分でなかったこと、また、保護者に園児を引き渡すことを第一とする園の防災への方針、取り組みが災害を招いたものとする仙台地裁の指摘は、今後、幼稚園のみならず、小・中・高等学校における防災への取り組みにおいて、学校側の責任が問われるという事態が起こり得るということ、また、学校(幼稚園)防災計画が児童生徒の生命を守ることを優先した計画になっているかどうかについて厳しく問われたものと真摯に受け止める必要がある。
2. 東日本大震災を振り返る
仙台地裁の判決は、2011(平成23)年3月11日の東日本大震災の発生時における幼稚園の地震・津波に対する取り組み・対応の是非について問うたものである。
この時の地震・津波は、岩手・宮城・福島の3県が中心であったが、東京都を含む首都圏にもその余波が及んでいたことを忘れてはならない。東京都では、千代田区にある九段会館において天井仕上げ材の一部が崩落して、専門学校の卒業式に出席していた講師2人が犠牲になり、江東区の金属加工工場では、工場内に化学薬品トリクロロエチレンを含んだガスが充満し、それを吸い込んだ従業員2人が犠牲となっている。また、町田市では大型スーパーの立体駐車場に繋がるスロープが崩落して2人が犠牲になるなど、いくつかの人的災害が発生している。
また、関東・東北地方の広い範囲において、液状化現象や、地盤沈下の発生がみられた。関東地方では。千葉県の千葉市、習志野市、船橋市、市川市、浦安市など、東京都
の江東区、江戸川区など、神奈川県横浜市の八景島周辺など、茨城県のひたちなか市、潮来市など、また、東北では宮城県大崎市などにおいて、建築物の傾斜、断水・ガス供給の停止、水田への土砂の堆積などの被害が生じた。関東地方で災害のあったこれらの地域は、東京湾岸の埋立地や千葉県から茨城県にかけてのいわゆる「水郷地帯」といわれる地域であり、浦安市では市内の85%が液状化するという状況がみられた。
東日本大震災については、その規模の大きさ、災害の大きさが、これまでの予想をはるかに超えた大きなものであった。このことから、この災害を目の当りにして、当時は「想定外」という言葉が多く飛び交った。しかし、東日本大震災を経験した後では、このような規模の災害はこれからも起こり得るということ、そして、「想定内」として、このような規模の地震、津波に対応した防災に取り組むことの必要性が求められるようになった。また、これまでのように一律にどの地域でも同じ災害を想定しての防災計画、例えば地震から身を守るということを基本にした防災計画だけでなく、それぞれの地域の置かれた状況、例えば液状化の起こりやすい地域、冠水が生じやすい地域など、その地域の特色を踏まえて、児童生徒の生命を守るといった取り組みを行うことの必要性が求められるようになってきているということができる。
仙台地裁の判決は、防災計画の運用が新しい状況に対応できるものになっていたのかどうか、その是非を問うものであった。このことは、学校の防災計画が児童生徒の生命を守るという観点に立っての計画になっているかについての検討、見直し、練り直しを、学校(園)に問うたものであったと受け止めることもできる。
3. 宮城県石巻市立大川小学校の惨事から学ぶもの
また、石巻市の市立大川小学校の学校管理下において起こった児童74人、教員10人が大津波に呑み込まれて死亡、行方不明になった惨事についても忘れるわけにはいかない。「地震から津波が来るまで50分の間、何故避難しなかったのか」、このことが問われているからである。「校庭避難」、「家庭への引渡し」、この後の避難に対する取り組みにおいて、「校舎の裏山に逃げる」という一番安全な方策が防災計画に無いということで採用されず、校庭にいた11名の教員の間で次の避難場所への移動についての結論が出ず、「第二次避難場所」として北上川にかかる堤防道路と決め、移動を開始したのが3時25分ごろ、3時37分ごろに堤防道路付近で大津波にのみ込まれるという惨事となったのである。防災計画に忠実であろうとしたこと、しかし、情報収集に対する取り組みが遅れてしまったということなど、このようなことが重なっての惨事であったということで、幼稚園での惨事に相通じる問題点をそこに見ることができる。
大川小学校の地震・津波に対応するマニュアルでは、第一次避難は「校庭等」となっており、ここが危険になった時の第二次避難は、津波発生の有無を確認し、第二次避難場所である「近隣の空き地等」に移動するとなっている。しかし、「近隣の空き地等」がどこなのか、明記されていなかったといわれている。
第一次避難場所から第二次避難場所への移動の判断は、正確な情報の収集と、それを踏まえた判断によって行われなければならない。このために必要なのは指示を行う中枢、すなわち「災害対策本部」がきちんと立ち上げられ、機能することである。
▲ 大津波で被災した大川小の校舎と校庭
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この中枢を どのように構成し、正確な情報を発信し、行動に繋げていくのか、確認しておくことが大切である。この中枢がなかったこと、このため、的確な指示・発信が行われず、被害を拡大させたことになる。「災害対策本部」をどう構成し、どう機能させるか、それぞれの学校でマニュアルを確認し、具体的な運用・行動について検討しておく必要がある。大川小では児童の引き渡しについて、「引き渡しカードによって引き渡す」となっていた。それに対応する「防災用児童カード」を保護者が作成する、学校は「児童引き渡し確認一覧表」を作成するとなっていた。しかし、これらカードや一覧表が平成22年度は作成されていなかったといわれており、その後、作成されたかどうかについては調査中とのことで、確認されていないという状況にある。
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さらに、事故当時、大川小に勤務していた教職員13人のうち、震災直前に市教委、県教委の防災に関する講習を受講した教員は1人、講習内容が教職員全体に伝わっていないという実態もあった。さらに。教職員のうち、大川小での勤務経験が1〜2年目という教職員が4分の3近くにのぼり、多くの教職員が学校周辺の地域の状況、第二の避難場所が安全かどうかなどについて十分に把握されていなかったなどの可能性も考えられるのである。
引き渡し訓練が職員会議で「話題になったり、話し合ったことがない」という学校の状況、大川小が石巻市の地域防災計画に於いて「津波」の際の避難所に指定されていたにもかかわらず、津波を想定した防災訓練が実施されていなかったことなどから、災害に対する取り組みが十分でなかったことは明らかであり、このことから、防災への取り組みはどうあるべきかなどを学ぶことはできる。これからの防災への取り組みを考えたとき、この惨事に学ぶべきことが多いことを理解しておく必要がある。
保護者の中には学校の責任を問う声も存在しているという。しかし、このことが表面に現れるといった状況になっていないといわれている。
4. 東日本大震災は、3.11で終わったのか
東日本大震災から2年半を経過した今日、人々の関心は東南海地震や東海地震がいつ発生するのかなどに移りつつある。しかし、「東日本大震災は、3.11で終わったわけではない。まだ続いている。」と警鐘を鳴らす研究者(「(株)環太平洋地殻変動解析」代表、八木下重義氏)もいる。。
八木下重義氏は、日本列島はフィリピン海プレートや太平洋プレートに押されて、年に3〜4cm西に移動する。しかし、東日本大震災の半年前に急に逆の東に動き始めた。沈み始める太平洋プレート、これに本州北部が乗る北米プレートが固着して東に引きずられ、そのパワーが解放されたときに震災が起こった。その結果、日本列島は東に8m移動した。さらに、震災後もこの2年でさらに3m東に動いている。このため、今も宮城県・福島県沖に地震エネルギーが溜め込まれ、大震災の再来があるという。
さらに、「2011年の東日本大震災の余剰ストレスが首都直下型地震を引き起こす可能性がある」、「東日本大震災はM9だったが、誘発される首都直下型地震はM7程度、阪神淡路大震災の2分の1から3分の1の大きさと想定されている。しかし、直下型のM7は沖で起きたM8より震源が近い分、被害が大きくなる可能性が高い」と、郡司嘉宣氏(独立行政法人建築研究所特別客員研究員・元東大地震研准教授)はいう。
東京都には、1923(大正12)年に発生した関東大震災(M7.9)の再来を想定して作成された「東京都地域防災計画」がある。フィリピン海プレート上面に沿うプレート境界型地震が、区部直下、多摩直下、神奈川県境直下、埼玉県境直下の4か所で発生したと想定し、その被害についての対策をまとめたものである。
2012(平成24)年に修正された「地域防災計画」では、区部直下型地震が発生すると、@強い揺れや火災によって、重大な人的被害が発生する(最大死者数:約1万人、最大避難者数:約339万人、帰宅困難者:約517万人など)、A都民の暮らしと都市機能を支える住宅やライフライン等に大きな被害が発生する(全壊棟数:約30万棟、ライフライン被害:断水率約30%、停電率約18%など)と想定している。
津波については、震度6強の地震が発生した時、2mを超える津波が江東区、中央区、品川区などに襲来すると予想している。
建物については、揺れ並びに液状化による全壊:約4万3千棟、半壊約10万棟、足立区、江戸川区、大田区、江東区、世田谷区の順となっている。
ブロック、石、コンクリート塀については、約5万8千件、崩壊の大きさは世田谷区、大田区、江戸川区、足立区、葛飾区の順となっている。
落下物については、飛散物、非飛散物を合わせて約4万8千棟、大田区、世田谷区、江東区、江戸川区、足立区の順となっている。
消失棟数については、約32万棟、大田区、江戸川区、世田谷区、杉並区、葛飾区の順となっている。
死者については、約7200人、負傷者については、約16万人、帰宅困難者については約370万人、自宅外避難者については、発生1日後で約230万人、1ヵ月後には約140万人が自宅に戻れないと予想されている。
ライフラインについては、断水率は区部で約31%(約130件)、応急復旧に必要な日数は区部で約1ヶ月、多摩で13日となっている。停電率は約20%、応急復旧に区部、多摩ともに7日となっている。ガス供給停止については約130万需要家、区部の約32%が相当する。応急復旧に約57日を要すると予想されている。
これらの想定を総合して、避難危険度(安全な避難場所までの避難のしやすさ、しにくさを示したもの)、建物倒壊危険度(地震の揺れによって建物が受ける被害の度合いを示したもの)、火災危険度(出火と延焼の危険性の度合いを示したもの)の3つの危険度にまとめている。避難危険度では、台東区、品川区、大田区、新宿区、豊島区などが、建物倒壊危険度では、墨田区、足立区、江東区、台東区、葛飾区などが、火災危険度では、品川区、新宿区、北区、文京区、荒川区などが上位にあげられている。
学校もまた地域のなかに存在する。災害が起こったとき、学校そして学校を取り巻く地域がどのような状況に変化するのか、このことを想定し、それらを踏まえた「学校の防災計画」の修正・練り直しなどが今求められているのである。
5. 学校での防災意識を高めるために
最近の災害は、地震に限らず、台風や低気圧(竜巻や突風)、高波や高潮などの風水害、原子力災害など、災害の範囲に広がりがみられる。こうした災害に対応するために東京都は地域特有の災害リスクをいかに低減するかということを踏まえて、「地域防災計画」の修正を行っている。修正のポイントは、@木造住宅密集地域での火災のリスクを減らす、A津波・高潮等、水害のリスクを減らす、B山間部での土砂災害への対応、などであった。これとともに、学校が安全な避難所となるために、その機能を充実することが求められているということを十分認識しておく必要がある。
ここに、東京都で危険度上位にランクされた地区の小学校の「地震災害時対応マニュアル」がある。その概要を紹介すると、T@大地震発生の時、「第一次避難は各教室・机下」、A地震が弱まった時、「第二次避難(晴天時は校庭へ、雨天時は体育館へ)、児童下校途中の時は、学校に戻ることを原則とする、児童への指示の徹底を図る。」、B余震が続く時、「緊急災害対策会議の立ち上げ(第二次避難場所で)」、「校舎状況確認―火災・崩壊・爆発の有無の確認」 U津波・洪水の恐れある時、「屋上庭園−校舎屋上が危険な場合はプールサイドに上がる」 V状況が落ち着いた時、「避難路の確認(下校路の危険の有無を確認、担任は各家庭と連絡)」、「情報公開(学校ブログに学校の状況と今後の引き渡し方法をアップする)」、「引き渡し開始(引き渡しチェックを厳しく行う・集団登校は行わない)」 W避難継続の時、「体育館に待機する」 Xその後の動きについては「緊急災害対策会議」の判断で随時行動を決定、といった内容になっている。防災計画は1枚の用紙にコンパクトにまとめられている。しかし、教職員一人一人が管理職を含めてどのような役割を担当するのかが明記されていない。このことから、災害発生の時、情報をどのような手段で誰が収集するのか、避難指示は誰がどのように行い、学校全体に伝えていくのかなど、行動計画といったものの作成が求められている。最近の災害は、地震に限らず、台風や低気圧(竜巻や突風)、高波や高潮などの風水害、原子力災害など、災害の範囲に広がりがみられる。こうした災害に対応するために東京都は地域特有の災害リスクをいかに低減するかということを踏まえて、「地域防災計画」の修正を行っている。修正のポイントは、@木造住宅密集地域での火災のリスクを減らす、A津波・高潮等、水害のリスクを減らす、B山間部での土砂災害への対応、などであった。これとともに、学校が安全な避難所となるために、その機能を充実することが求められているということを十分認識しておく必要がある。
東日本大震災の後、東京都の幼・小・中・高校・特別支援学校では、幼児・児童・生徒の生命の安全を第1に考えた防災計画の見直しが行われたものと思われる。しかし、保護者にそのことが十分に伝わっていないことを示す例が、インターネット上に載っていた。「大震災後、子どもが通学している小学校では津波に対する避難訓練を一度も行っていません。先生にも実施について申し入れましたが、なんのアクションもありません。この地域は海抜0mといわれるところもあり、水害に悩まされてきました。いつ起きてもおかしくない大地震に備え、津波については5階以上の建物に避難する、という避難訓練が行われていません。保育園では子どもをおぶって8階以上の建物に避難するという具体的な避難経路の確認、時間を図り、大切な子どもの命を守る訓練を行っています。是非とも早急に全小中学校で5階以上の建物に避難する訓練を実施してください」。このような保護者の不安に対して、学校はその解消に努める必要がある。学校と保護者との間に不信感が存在している限り、どんなに枚数を重ねて綿密に練り上げた防災計画でも、また、1枚の用紙に見やすくコンパクトにまとめた防災計画であっても、机上の計画になってしまうのである。児童・生徒の生命の安全を確保するために、地域が災害によって大きく変貌する可能性がある時、学校はどのように対応したらよいのか、今年の10月16日に発生した伊豆大島の豪雨惨事からもその対応の在り方などについて、学ぶべき事柄は多いということができる。
6. 防災に対する意識を育てる
児童生徒一人一人、教職員一人一人、保護者一人一人が、防災については、非日常的な事柄であるため、つい意識することが疎かになってしまう。しかし、児童生徒に対して「自分の命は自分で守る」という学習や体験を日常的に行うことは可能である。「自宅から学校までの防災マップ」「自宅から避難所までの防災マップ」「学校から避難所までの防災マップ」を作成して実際に歩いてみる、児童生徒が毎日持つランドセルやカバンの中に、携帯非常食、水、ホイッスルなどとともに緊急時のパーソナルカード(名前、性別、住所・電話番号、学校名・電話番号、緊急連絡先)などを入れた災害バックを作り、常に携行する、確認するなどを通して防災に対する意識を育てるなどは可能である。
教職員に対しては、災害の発生を想定し、停電の場合、断水の場合、ガスが停止になったとき、何が必要になるか、どう対応するかなどを考えさせ、必要な機材を書き出させてみる。例えば、停電によって外部からの情報収集ができなくなったとき、ソーラーラジオ、ソーラー充電器などが必要など、また、校内放送が不可能になったとき、どのような方法で情報を伝達していくのか、拡声器が必要であるなど、乾電池の備蓄は十分かなど、確認項目を設定して機材・備蓄品を確認しておき、万全を期することに努める必要がある。また、屋上避難の場合、地上から屋上までの距離と時間、また、大津波に対応できるかなど、耐震性を含めて確認しておくことも必要である。
家庭、保護者に対しては、防災に対する同じ講座を複数回開催し、すべての保護者が必ずいずれかの講座に1回参加するようにすることで、防災意識を高めることに努める取り組みが考えられる。発熱剤がついており火を使用しないで処理できる商品があること、非常用トイレを使用した体験、リュックで子どもが背負える重さなど、家庭への情報提供、披露などを行う。このような学校と家庭、保護者との交流が両者の信頼関係を創り上げることに有効であると考えられる。
「防災計画」を1つの指針として活用しながらも、時には臨機応変な対応も必要になるときもある。現在の学校の計画を基本に置きながら、正確な情報をいち早く把握し、判断し、災害防止のための最善の方法を選択し、対応する、このことが大切である。このためにも、地域社会との適切な連携、例えば、登校、下校途中の児童生徒が災害に遭遇した時、すぐ近くの家をとりあえずの避難の場所として使わせてもらうなど、日頃から話し合いを十分に行っておくことなどが重要である。
震災の後で、防災への取り組みが原因で児童の事故が発生した、また、学校(園)と家庭・保護者が防災計画の是非を巡って争う、このようなことはあってはならない。児童生徒の生命を守る、このことが最優先なのである。
本年10月8日、日本地震学会において、静岡大学の生田領野助教は、東日本大震災を引き起こした三陸沖のプレート境界地震と同じようなエネルギーを持つ場所が釧路沖周辺、小笠原諸島付近、沖縄周辺に存在しており、M9程度の巨大地震が予測されると報告した。南海トラフ地震(M9.1)相当で、最大30mの津波が発生すれば、32万3000人の死者が想定されるという。
災害は学校だけでなく、地域社会、家庭を含めて広範囲に起こるものであり、地震後の液状化、火災など、それぞれの地域の特性に応じた課題にも対応しなければならない。児童生徒の生命を守る、このために、学校が中心となって家庭・地域社会に広がりを持つ「防災計画」を策定する、その努力をすることが、今強く期待されているのである。
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