2014年4月26日、上毛新聞は「政府は26日未明、ユネスコ諮問機関の国際記念物遺跡会議が、群馬県富岡市の『富岡製糸場と絹産業遺産群』を世界文化遺産に登録するよう勧告した《と報じた。富岡市は、「同日『富岡製糸場と絹産業遺産群』に係る世界遺産委員会諮問機関による評価結果及び勧告《についての記者会見を開いた。
2014年6月21日午後、カタールのドーハで開かれた世界遺産委員会で「富岡製糸場と絹産業遺産群《を世界遺産とすることを決定した。そして、審議最終日の6月25日、世界遺産として登録された。
「富岡製糸場と絹産業遺産群《が世界遺産に登録されたことによって、日本の世界遺産は、文化遺産14カ所、自然遺産4カ所、合わせて18カ所となった。
日本にとっては、昨年「富士山《が世界文化遺産として登録されたのに続き2年連続である。
世界遺産は、過去から現在に引き継がれ、未来へと伝えていかなければならない「普遍的価値《を有した貴重な遺産である。そのため、その遺産を保護・保全(世界遺産を有している国が保護・保全することが原則)するとともに、その遺産の価値、いわゆる、歴史、文化、景観、自然などが貴重な遺産であることを、学校教育やコミュニティの活動を通じて、次の世代の子どもたちに伝えていかなければならない。
そこで、世界遺産の「普遍的価値《をどのようにして学ぶか、どのように伝え、保全していくかについて、見解を述べてみたい。
1.世界遺産とは何か
世界遺産は、1972(昭和47)年のユネスコ総会で採択され、1975(昭和50)年に発効した「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)《(注1)に基づいて、世界遺産リストに登録された「顕著な普遍的価値をもつ遺跡、景観、自然《などである。条約締約国は191カ国で、日本は1992年に125番目の締約国になった。
世界遺産は、「文化遺産《「自然遺産《「複合遺産《など、3種類に分けて登録(注2)されている。またその他にも「危機遺産《や「負の遺産《「無形遺産《などがある。
世界遺産について、ウィキペディアには、「文化遺産:顕著な普遍的価値をもつ建築物や遺跡など。自然遺産:顕著な普遍的価値をもつ地形や生物多様性、景観美等を備える地域など。複合遺産:文化と自然の両方について、顕著な普遍的価値を兼ね備えるもの。《と記述されている。また、日本ユネスコ協会連盟は、「世界遺産とはについて:地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へと引き継がれてきたかけがえのない宝物です。現在を生きる世界中の人びとが過去から引継ぎ、未来へと伝えていかなければならない人類共通の遺産です。《と記述している。
このように世界遺産は、文化、歴史、遺跡、景観、自然など、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値《をもつ遺産として、過去から現在に引き継ぎ、その価値を後世に伝え残していかなければならないのである。
2.日本の世界遺産
日本で最初の世界遺産として登録されたのは、1993年の姫路城、法隆寺、屋久島、白神山地など4件である。下記に日本の主な世界遺産について記述する。
(画像引用:ウィキペディア)
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☜ 姫路城
姫路城は、播磨国飾東郡姫路にあった城である。別吊を白鷺城という。江戸時代初期に建てられた天守や櫓などの主要建築物が現存し、建築物は国宝や重要文化財、城跡は国の特別史跡に指定されている。また、世界遺産にも登録され、日本 100吊城等に選定されている。 (文化遺産 1993年12月登録)
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☜ 屋久島
樹齢7200年といわれる縄文杉をはじめとする屋久杉でも有吊な自然遺産の島である。九州最高峰の宮之浦岳(1935m)をはじめ1000mを超す山々が46座もあり「洋上のアルプス《とも呼ばれている。島の90%を占める神秘的な森や特異な生態系が1500種、日本の椊物種の7割以上の種がひしめきあっている。 (自然遺産 1993年12月登録)
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☜ 白川郷
白川郷(岐阜県大野郡白川村)と五箇山(富山県南砺市)は、いずれも飛越地方庄川流域の歴史的地吊である。白川郷は上流域、五箇山は中流域である。白川郷と五箇山にある合掌造りの集落群は、日本では6件目の世界遺産となった。 (文化遺産 1995年12月登録)
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☜ 知床
北海道の東端オホーツク海に面した知床半島と、その沿岸海域半島中央部は、千島火山帯が貫き、海岸線は荒く海に削られた地域である。冬には世界で最も南端に接岸する流氷が訪れる。この流氷により大量のプランクトン、サケなどの豊富な魚介類が生息する。サケは秋に知床の河川を遡上し、ヒグマやオジロワシなどに捕食され、海と陸との食物連鎖を見ることができる貴重な自然環境である。 (自然遺産 2005年07月登録)
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☜ 富士山
静岡県と山梨県にまたがる日本最高峰の富士山は、古来富士信仰が育まれた霊峰であるとともに、葛飾北斎の富嶽三十六景等に代表される芸術上の主要な題材として、日本国内のみならず国際的にも大きな影響を及ぼした景観を形成している。(文化遺産 2013年06月登録)
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3.海外の世界遺産
2014年6月25日現在、世界遺産は1007件(文化遺産779件、自然遺産197件、複合遺産31件)である。世界遺産のうち、危機遺産として46件が登録されている。
1978(昭和53)年の第2回世界遺産委員会で、アメリカのイエローストーン国立公園やドイツのアーヘン大聖堂など12件(自然遺産4、文化遺産8)が、第1号として世界遺産リストに登録された。
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☜ イエローストーン国立公園(アメリカ)
1872(明治5)年、世界最初の国立公園で、1978(昭和53)年、世界自然遺産に登録された。アイダホ州、モンタナ州などに位置している。狼やアメリカバッファローなどが生息する地上に残された数少ない手付かずの巨大温帯生態系である。世界にある間欠泉の4分の1に当たる400余りがあり、400種の野生の動物が生息している。 (自然遺産 画像引用:ウィキペディア )
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☜ アーヘン大聖堂(ドイツ)
世界文化遺産に登録されたドイツ最初の建造物で、ゴチック様式の市庁舎では、大聖堂での戴冠式後に、歴代32人のドイツ王が贅沢な祝宴を開いた。またこの市庁舎では1950(昭和25)年以降、毎年アーヘンの国際カール大帝賞の授賞式が行われている。ヨーロッパの政治・文化の相互理解に貢献した功労者に与えられる最高の賞であり、授賞式には各国の元首、宗教界及び学術界代表者が参列する。 (文化遺産 画像引用:Google)
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☜ マチュピチュ
標高2,280mの天空都市である。15世紀のインカ帝国で大きな力を誇った皇帝によって建設されたと言われている古代遺跡である。マチュピチュが天空都市と呼ばれるのは、尖った山々がそびえるウルバンバ渓谷の山頂に位置し、麓から見上げてもこの都市の存在が確認できないためである。なぜこのような場所に建設し、どのように建造したのか、事実は上明である。 (複合遺産 画像引用:Google)
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4.負や危機の世界遺産
世界遺産の中には、「負の遺産《と「危機遺産《と呼ばれている遺産もある。
(1)負の遺産
世界遺産の登録に際して、登録理由の一部ないし全部が、平和や人道的な観点から、人類の「負《の行為を記憶にとどめるために、その役割を果たす遺産を「負の遺産《と呼んでいる。人類が犯した悲惨なできごとを世界遺産として後生に伝え、そうした悲劇を二度と起こさないための戒めとなる建造物などである。
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☜ 原爆ドーム
1996年12月文化遺産として登録された原爆ドーム(広島平和記念碑)は、広島市に投下された原子爆弾の惨禍を今に伝える記念碑(被爆建造物)である。元は広島県物産陳列館として開館し、原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていた。「二度と同じような悲劇が起こらないように《との戒めや願いをこめて、特に負の世界遺産として保存されている。 (画像引用:Google)
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(2)危機遺産
危機遺産とは、武力紛争や自然災害、大規模工事、都市・観光開発、密漁などによって危機に瀕している遺産である。このような危機に瀕している世界遺産を、ユネスコは「危機にさらされている世界遺産リスト《に加えている。危機遺産は、脅威が去ったと判断されると危機遺産リストから除外されるが、逆に危機にさらされ、世界遺産としての価値が失われたと判断された場合、世界遺産リストから削除される可能性もある。
2014年現在、保存の危機にさらされている危機遺産は、崩壊・略奪・盗掘の恐れがある「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群(アフガニスタン)《やシリアのパルミラ遺跡など46件もある。
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☜ パルミラ遺跡(シリア)
2013年6月20日、ユネスコの世界遺産委員会は、内戦が続くシリアの6つの世界遺産を、「危機にさらされている世界遺産(危機遺産)《へ登録した。
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(3) 無形遺産
2003年の第32回ユネスコ総会で採択された「無形文化遺産の保護に関する条約《の第2条では、「無形文化遺産とは、慣習、描写、表現、知識及び技術並びにそれらに関連する器具、物品、加工品及び文化的空間であって、社会、集団及び場合によっては個人が自己の文化遺産の一部として認めるものをいう《と定義されている。
口承による伝統、芸能、社会慣習・儀式、伝統工芸技術などの無形の文化財を、有形文化財である世界文化遺産同様に人類の遺産として、保護することを目的としている。これまでに選ばれた中には、日本の「能楽《「人形浄瑠璃文楽《「和食《などがある。
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☜ 和食(日本)
ユネスコは2013年12月5日、アゼルバイジャンのバクーで開いた第8回政府間委員会で、「和食《の食文化が自然を尊重する日本人の心を表現したものであり、伝統的な社会慣習として世代を越えて受け継がれていると評価し、無形文化遺産に登録した。
(無形遺産 画像引用:Google)
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☜ アルゼンチンタンゴ(アルゼンチン)
ユネスコは、2009年9月30日、アルゼンチンタンゴを無形文化遺産として登録した。 アルゼンチンタンゴは、首都ブエノスアイレスのBocaと呼ばれる港町で生まれた。
タンゴという文化を、世界中の人が愛し、それを演奏し、歌い、踊るという、今もなお生き続ける文化である。 (無形遺産 画像引用:Google)
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5.世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群《
富岡製糸場は1872(明治5)年、明治政府が日本の近代化のために最初に設置した官営模範機械製糸場である。
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☜ 富岡製糸場
富岡製糸場の規模は、長さ140m、幅12mの繰糸場をはじめ、大規模な建造物が並ぶ工場で、当時は世界最大規模を誇っていた。富岡製糸場を中心に開発された技術が世界に広まり、高品質の生糸を量産し絹織物の大衆化に貢献するとともに、絹を消費者の手に入りやすいものにした。それを支えたのが、3つの絹産業遺産群である。(画像引用:Google)
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☜「富岡製糸場と絹産業遺産群《の位置
荒船風穴(下仁田町)は蚕種を冷蔵保存し、春だけだった養蚕の回数を増やした。2階を蚕室にした田島弥平旧宅(伊勢崎市)は近代養蚕農家の原型になった。また、高山社跡(藤岡市)は養蚕教育機関として技術を全国に広めた。
富岡製糸場と絹産業遺産群はその後、三井家や製糸大手の片倉工業に引き継がれ、1987(昭和62)年まで製糸工場として操業を続けた。操業停止後も社員3人を配置し、修繕や維持管理に年間1億円を投じて、現在まで歴史的資産として保存されてきた。
敷地内では繰糸場、東・西繭倉庫、外国人宿舎、
富岡製糸場の建設を指揮したブリューナ館など、いずれも国の重要文化財指定の建物群である
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☜ 田島弥平旧宅
通風を重視した蚕の飼育法「清涼育《を大成した田島弥平が、1863(文久3)年に建てた主屋兼蚕室である。瓦葺き総2階建てで、初めて屋根に越屋根(注7)が付けられた。この構造は、弥平が「清涼育《普及のために著した、「養蚕新論《「続養蚕新論《によって各地に広まり、近代養蚕農家の原型になった。 (画像引用:Google)
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☜ 高山社跡
1883(明治16)年、高山長五郎は、通風と温度管理を調和させた「清温育《という蚕の飼育法を確立した。翌年、この地に設立された養蚕教育機関高山社は、その技術を全国及び海外に広め、清温育は全国標準の養蚕法となった。(画像引用:Google)
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☜ 荒船風穴
1905(明治38)~1914(大正3)年に造られた。岩の隙間から吹き出す冷風を利用した蚕の卵の貯蔵施設、冷蔵技術を活かし、当時年1回だった養蚕を複数回可能にした。3基の風穴があり、貯蔵能力は国内最大規模で、取引先は全国40道府県をはじめ朝鮮半島にも及んだ。(画像引用:Google)
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6.「富岡製糸場と絹産業遺産群 世界遺産に決定《を契機に世界遺産の価値を学ぼう
世界遺産の学習は、校外学習、コミニュティーの行事、あるいは旅行の時などを通じて、世界遺産に直接触れることが重要である。学校においては、地域にある世界遺産に直接触れる学習活動を教育課程に位置付けることが必要である。その際、世界遺産の背景には「文化・伝統・歴史《「地理・地学・生物学《など、人文科学や自然科学を横断するテーマがあることをしっかり押さえて、世界遺産の価値を学ぶ授業をデザインするようにしたい。このことは「自然と人間の共生《を学ぶことにも繋がる。
小・中・高校の「社会《の学習指導要領では、小学校:第5学年目標の(1)(2)、第6学年目標の(1)で、「我が国の優れた文化遺産、歴史や伝統、産業の発展、自然環境の保存《、中学校:地理的分野目標の(1)(2)、歴史的分野目標の(1)(2)で、「我が国の国土及び世界の諸地域に関する地理的認識、我が国の伝統と文化、歴史上の人物と現在に伝わる文化遺産《、高等学校:地理歴史科の目標で、「我が国及び世界の形成の歴史的過程と生活・文化の地域的特色や国際社会と日本の関係《などを学習し、「国際社会で主体的に生きる民主的・平和的な国家の一員として、必要な自覚と資質を養うこと《が明記されている。
自然遺産の学習、特に保全は環境教育そのものであることを根底において、学校、地域、児童生徒の実態に基づいて、教育課程のデザインを図ることが重要である。
(1)富岡製糸場と絹産業遺産群の学習
学校においては、「富岡製糸場と絹産業遺産群 世界遺産に決定《を契機に、授業のデザインをする場合、① 明治政府が日本の近代化を推進するため、初めて設置した国営の製糸工場であること。② 産業や科学技術の近代化に必要な外貨を獲得するため、当時最大の輸出品だった生糸の品質改善・生産増強を図ろうとしたこと。③ 群馬県富岡市に洋式の操糸機械を備えた模範的な工場を政府自ら建設したこと。などを学習内容にすることが重要である。また、「富岡製糸場《の他に、近代養蚕農家の原型となって蚕の飼育法を確立した「田島弥平旧宅《、通風と温度管理を調和させた養蚕教育機関の「高山社《、岩の隙間から吹き出す冷風を利用した蚕の卵の貯蔵施設によって、当時年1回だった養蚕を複数回可能にした「荒船風穴《などについても、それぞれを関連させながら、学習をすすめることが重要である。さらに文部科学省がユネスコスクール(注5)をESD(注6)の推進拠点として位置付けている学校の取組みなどを参考にしながら、世界遺産教育の推進に努めることが重要である。
2013年6月現在、世界181か国の国・地域で963校のユネスコスクールがある。日本国内の加盟校数は、「国連持続可能な開発のための教育の10年(ESD)《が始まった2005年から飛躍的に増加しており、2013年7月時点で615校となり、1か国当たりの加盟校数としては、世界最大となっている。
国連持続可能な開発のための教育の10年については、本会の「提言42:自校の教育課程に『持続可能な開発のための教育』をデザインしよう《に詳しく記述されている。
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☜ 富岡製糸場について具体的に学べる小中学生向けのワークシート(8枚)がある。少し難しい歴史の話や世界遺産について、ポイントを押さえて分かりやすく作成されている。
富岡製糸場を見学する場合の事前学習や見学しながらでも活用できる。
学校での学習のほか、個人見学でも自由に使えるようになっている。(富岡製糸場のホームページを開き、「小・中学生のみなさんへ《をクリックすると「学習用ワークシート《をダウンロードができる。
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また、また、下記のURLでも自由にダウンロードができる。(画像引用:Google)
http://www.tomioka-silk.jp/hp/worksheet/elementary%20school_2.pdf
(2)「原爆ドーム《の学習
原爆ドームは、1996年(平成8年)12月、メキシコで開催された世界遺産委員会において、世界遺産登録が決定した。
原爆ドームは、第2次世界大戦末期に人類史上初めて使用された核兵器により、被爆した建物である。ほぼ被爆した当時の姿のまま立ち続ける原爆ドームは、核兵器の惨禍を伝えるものであり、時代を超えて核兵器の廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑である。
原爆により破壊され、弱い構造の原爆ドームは、保存工事を行わなければ、現状を長く維持することは難しい。そのため、保存工事は原爆ドームの現状をできるだけ変えないように計画が立てられ、工事が行われてきた。これまで、3回の工事が行われた。
2014年6月7日、読売新聞夕刊は、「横浜市の公立中学校の3年生が5月に修学旅行で長崎市を訪れた際、男子生徒5人が被爆者で語り部の森口貢さんに、『死に搊ない』などの暴言を浴びせていたことがわかった。……引率の教諭もいたが、森口さんに促されるまで注意しなかったという。《と報じた。
この報道に筆者は大きなショックを受けた。被爆から年月が経過し、被爆や戦争の記憶が薄れ、児童生徒ばかりか教師も含めて、平和意識の低下が懸念されてならない。また、その場にいた教師は、男子生徒になぜ注意できなかったのか、教師としての資質や責任について、改めて考えさせられた。
平和学習の授業をデザインするに当たって、全教師が「平和《「負の遺産《「危機遺産《などについて真剣になって考えて欲しいと願うものである。
(3)「和食《の学習
日本の伝統的な和食が2013年12月5日、ユネスコの重要無形文化財に登録された。「和食《がユネスコの重要無形文化財に登録されたことは、「和食《の食文化が自然を尊重する日本人の心を表現した伝統的な社会慣習として受け継がれ、世界的な認知度が高まってきたからである。
小学校の「家庭《の学習指導要領、小学校:第5・6学年「家庭《目標の(1)、中学校「技術・家庭《の「家庭分野《の目標では、「衣食住や家族生活などに関する実践的・体験的な活動を通して……《、などについて学習することになっている。
①「和食《の学習の目標
ア)「学習指導要領:小・中学校の家庭の目標《 イ)「日本の食文化が自然を尊重する日本人の心の表現であること《 ウ)「伝統的な社会慣習として世代を越えて受け継がれてきたこと《
② 学習内容
ア)「和食《は日本が守るべき「文化《であること。
イ)「和食《が日本の文化である理由:自然の尊重、家族や地域を結ぶなど、「和食《は、多様性に富んでいること。
ウ) 食材、料理、栄養、食事の場、食べ方、もてなしの心も大切な要素であること。
2014年6月9日、日本教育新聞は、「食育の実施、推進上の課題に関する《調査結果を報じた。調査結果は、「必要:56.9%、必要ない:22.0%、その他:21.1%《などであった。この調査結果も含めて、「家庭《「総合的な学習の時間《「食育教育《などを通して、「和食《を授業としてデザインすることが重要である。
(4)世界遺産の保全の学習
「世界遺産条約《では、自国の領土内に存在する世界遺産は、将来にわたって保全することが国際的な責務とされている。
富岡製糸場は、1987(昭和62)年まで製糸工場として操業を続けた。操業停止後にも会社(片倉工業)は、社員3人を配置し、修繕や維持管理に年間1億円を投じて、大切に保存してきた。
原爆ドームはこれまで3回の大工事が行われた。今後も他の文化遺産を含めて、計画的に保全のための工事や修理をしていかなければならない。
世界文化遺産に登録された富士山は、2度目の山開きを迎えた。今年も多くの登山者が集まり、山頂に向かった。山開きと同時に「富士山保全協力金《の現地徴収も始まった。
富士山の環境保全や登山者の安全対策のために行う新たな事業や拡充する事業に使うことになる。世界遺産として保全していくために必要な費用であることを、児童生徒に理解させることが重要である。
自然遺産も自然環境保全法に基づいて、国やコミュニティが一体となって保全の事業を行っていかなければならない。
◆ 注 釈
注1:「世界遺産条約《 1972(昭和47)年10月17日~11月21日、パリで開かれた第17回 国際連合教育
科学文化機関(UNESCO)の総会において、1972年11月16日に採択された国際条約である。
注2:正式には「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約《の中で定義されている。
注3:世界遺産リストに登録
注4:日本ユネスコ協会連盟「世界遺産リスト《に「世界には存続が危ぶまれる44の危機遺産があります《
(電子版)と掲載されている。
注5:正式には「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約《の中で定義されている。
注6:「国連持続可能な開発のための教育の10年(ESD)《とは、持続可能な社会の担い手を育む教育の
ことである。2005年(平成17年)~2014年(平成26年)までの10年間を一区切りの期間としている。
注7:採光・換気・煙出しなどのため、屋根の上に、棟をまたいで一段高く設けた小屋根の構造である。
◆参考文献
ア 富岡製糸場ホームページ
イ 富岡市ホームページ
ウ 日本ユネスコ協会連盟ホームページ
エ 日本の世界遺産 世界遺産の一覧(ウィキペディア)
オ 上毛新聞・読売新聞・朝日新聞デジタル・東京新聞・毎日新聞・日本教育新聞