提言78: 教員の指導とは何か、体罰と言う側面から考えてみよう!

 2014年5月22日、東京都教育委員会は、体罰等の実態を的確に把握する目的で、都内の全公立学校の教職員、児童生徒を対象に平成25年度に発生した体罰等の実態について調査し、その結果を発表した。この調査に対して、体罰ありと報告した学校が、小学校1,299校、中学校830校、高等学校194校、特別支援学校61校で、東京都の公立学校のほとんどで、教職員が叩く、物をぶつける、殴る、蹴る、投げ飛ばす、転倒させるなどの行為を行っていることが明らかになった。また、東京都教育委員会の調査に先立つ2013年8月9日に、文部科学省は、平成24年度に発生した体罰の状況(国公私立学校)について、「体罰の実態把握(第2次報告)」と題して公表している。
 これらの報告から見えてくるのは、体罰の根絶が叫ばれているにも関わらず、教職員を中心にいまだに体罰が行われているという実態である。なぜ体罰はなくならないのか、学校生活以外の場である家庭生活、あるいは社会生活においても、体罰、あるいはこれに近い行為が、「しつけ」、あるいは「訓練」という形で行われている。この行為を容認するという風潮をまず学校という場から払拭していく努力が、この問題の解決に重要であると受け止めている。このことをふまえて見解を述べる。
 
1 体罰について教育法規などではどのように規定しているか 
 児童生徒たちは、学校、家庭、地域社会という環境の中で生活している。この環境に適応する、そして人間関係をよりよく維持していく、このために必要な約束ごと、すなわち、礼儀作法を身に付けることが求められている。また、社会を構成する一員として生活していくために必要な基本的な約束ごとを身に付けることが求められている、学校は学校生活、あるいは社会生活に必要なルールを教える重要な場である。この役割を担う学校教育への期待は極めて大きいものがあるということができる。 
 しかし、その任に当たる学校教育の中で、これが体罰であるという見解が十分に理解されていないところに不安に感じるのである。児童生徒を叩く、殴る、これらの行為は許されるものではないが、これが指導と受け止めていいのか、体罰となるのか、その線引きが非常に難しいし、あいまいである。この点のあいまいさが生徒指導を難しくしている面もある。
げんこつ    かって、生徒指導の場において、指導の流れの中で教員の手が児童生徒の衣服、あるいは身体等に触れるなどのことがあったという。即座に指導を受けている児童生徒から、「それ、先生、体罰だよ、教育委員会に訴えてやるから」と言われ、これは体罰ではないと反論できずに指導の流れを終息させてしまったということがあったと聞いたことがある。
 
 これは教員の行為の何が「体罰」となるのか、このことについての認識を具体的に身に付けておらず、ただ、「体罰」はいけないことだという認識だけを強く意識していたことの結果であるといえる。もう一度、教育法規の中で「体罰」についてどのように規定されているか、確認しておく必要がある。
(1) 教育法規では、懲戒と体罰について、どのように規定されているのか
 学校教育法第11条に、次のように規定されている。 
 「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」と。しかし、体罰とはいかなるものなのか、この条文からは読み取れない。
 この「懲戒を加えることはできる。ただし、体罰を加えることはできない」という学校教育法の第11条の規定を補足する内容を示す通達が、「生徒に対する体罰禁止に関する教師の心得」(法務府当時)と題して出されている。
 この通達は、学校教育法の制定の約2年後の1949(昭和24)年8月2日に法務府から出されたものである。この中に、懲戒と体罰についての事例が示されている。
@ 用便に行かせなかったり、食事時間が過ぎても教室に留めておくことは肉体的苦痛を伴うから体罰となり、学校教育法に違反する。
A 遅刻した生徒を教室に入れず授業を受けさせないことはたとえ短時間でも義務教育では許されない。
B 授業時間中、怠けたり、騒いだからといって生徒を教室外に出すことは許されない。 教室内に立たせる場合には体罰にならない限り、懲戒権内として認めてよい。
C 人の物を盗んだり、壊したりした場合など、こらしめる意味で、体罰にならない程度に、放課後残したりしても差し支えない。
D 盗みの場合などその生徒や証人を訊問することはよいが、自白や供述を強制してはならない。
E 遅刻や怠けたことによって掃除当番の回数を多くするのは差し支えないが、不当な差別待遇や酷使はいけない。
F 遅刻防止のための合同登校はかまわないが、軍事教練的色彩を帯びないように注意すること。
 この通達に示されている7項目は、学校教育法の施行以降に、「児童懲戒権の限界について」、各地方から問い合わせのあった事柄、例えば、「放課後児童を教室内に残留させることは体罰に該当するのか」、「懲戒として、ある時間内、この児童を教室に入らせないことは許されるか」、「遅刻児童防止のため、区域内の児童に、誘い合わせの上、隊伍を組んで登校することを命じることは許されるか」等について整理し、「教師の心得」として明らかにしたものと解することができる。このことから、この「教師の心得」は学校教育法に定められた懲戒権について行きすぎがないように歯止めをかけるものであり、体罰について例示したものではないと考えられる。
(2) 教師の心得」は体罰問題を考える第一歩、さらなる取り組みを!
 この「生徒に対する体罰禁止に関する教師の心得」が懲戒か、体罰かを判断するための指針であることは間違いない。しかし、7項目以外に起こり得る行為、あるいは教員が生徒に殴られ、それを制止する行為などについて、これは体罰か、否かといったことへの指針が示されておらずに今日に至っている。また、学校においても、体罰についての学校独自の指針をまとめることへの取り組みなどが十分であるどうか、また、教員自らも懲戒と体罰について、強い関心を持って考えるということを行ってきたかどうか検証する必要がある。この「教師の心得」の内容が基準となり、殴ってはいけない、叩いてはいけないのはここに示された場合で、これ以外については教職員個々の判断に任されているということになっていないか、もう一度、学校全体の指導に取り組む姿勢について、見直しを行うことも大切である。

2 体罰をなくす、これは教員一人一人が真剣に考える課題である
「体罰」とは、児童生徒の身体と心に癒しがたい苦痛を与え、人間としての尊厳を傷つけ、信頼関係を一瞬にして失わせる行為である。社会生活を営むなかにあって、他人の身体を傷つけたり、精神に障害を与えるような行為については、暴行、傷害、あるいは反社会的行為として、刑法という法律が適用され、罰せられることになっている。教員が児童生徒に行った暴力行為についても、同じように刑法が適用され、罰せられる行為である。しかし、学校の中には「児童生徒を厳しく指導するために、また、教員としての威厳を保つために、あるいは指導の一形態として体罰は必要である」「信頼関係があれば許される行為である」、「生徒指導や部活動の指導に体罰は必要である」といった主張や考えがあり、体罰を容認する雰囲気が存在しており、そのことが体罰を助長してきたと考えることができる。
 たとえ、教員と児童生徒との間に信頼関係があったとしても、そして、厳しい指導が必要であったとしても、体罰は絶対に許されない行為である。教員自らが暴力に訴えるような指導は厳に慎まなければならないことは当然である、と同時に、これらの行為を行う教員を目にしたとき、これを見て見ぬふりをするという他の教員の態度もまた許されるべきものではない。
poster    教員一人一人が、「自分に体罰を容認する気持ちや考えがあるのではないか、どうなのか」、このようなことを自らに厳しく問うことが大切である。また、罰せられるのが怖いから体罰はやらない。しかし、そこで終わってはいけないのである。体罰に代わる指導として何があるか、これは教員一人一人が真剣に考えるべき事柄である。学校教育法という法律によって体罰は禁止されている。しかし、学校教育の場において体罰に類する行為が後を絶たずに行われている。
 
 なぜなのか。このことを学校は真剣に考える必要がある。体罰という行為を絶無にする、その気持ちを持って、学校の中で管理職、教職員すべてが参加し、十分な論議を行う場が設けられ、論議が進められることが必要である。

3 体罰は教育指導の一環なのか
(1)日本の教育の流れと体罰
 日本の教育の歴史の中で、体罰という行為が注目されるようになったのはいつの時代からなのか、その流れについて探ってみる。
 1989年に発行された、江森一郎氏の『体罰の社会史』(注1)によると、江戸時代以前から体罰があったことが推測できる。それは体罰否定論者として「最澄」、「道元」らの名が挙げられているからである。「最澄」は伝教大師ともいわれており、天台宗(比叡山延暦寺)を開いた平安初期(8世紀末〜)の高僧である。また、「道元」は鎌倉時代(12世紀末〜)に日本曹洞宗を開いた禅僧である。これらの人物の活躍した時代を考えると、平安初期にも体罰が存在していたということになる。また、鎌倉時代においても同様である。江戸時代になると、その初期から体罰は歓迎されなくなってきたようである。水戸黄門で知られる徳川光圀も体罰否定論者といわれている。また、山崎闇斎、山鹿素行、中江藤樹、熊沢蕃山らの学者がその立場に立っていたという。熊沢蕃山は「聞いたことも、見たこともないものを、読もうとする気もない子に読ませれば、先にやったことは忘れてしまうのは当然だ。それを覚えが悪い、忘れてしまったといって打ちたたきするのは「不仁」(慈しみのないこと=広辞苑)である。(教育方法を)知らないのである」と考えて、体罰を否定したという。しかし、体罰は否定しているが、厳しく育てるべきという考えは持っていたといわれている。
 武士の教育だけでなく、庶民の学習の場であった寺子屋においても、体罰はあまり行われてはいなかったようである。代わりに羞恥心を利用したり、恐怖心を適度に利用したりするなどして学習の効果を挙げることが行われていたといわれている。
 ヨーロッパの教育の中に取り入れられていた鞭打ちなどは日本の教育には導入されなかった。江戸時代の日本人は子どもを溺愛し、甘やかすことが一般的で、体罰もあまりひどいものではなかったという。
(2)体罰が学校教育のなかで行われるようになったのは
 江森一郎氏によると、体罰が肯定されるようになったのは、日露戦争(1904年〜)前後からだという。明治になり、近代的な学校が国民全体を対象として発足し、子どもたちの集団に対して教員が教授するという授業が行われる形態の中で、集団生活の行動からはみ出してしまう子どもに対して懲戒を加える必要が生じてきたという。すなわち、集団的な統制、規律が公教育の中において不可欠のものとなってきた。
一方、軍隊もこれまでの戦争と違い、近代的な装備とそれを動かす練度の高い、統制のとれた兵士の養成が求められるようになった。日本の軍隊の特徴は上官への絶対服従である。この軍の考えが教育の場に持ち込まれたとき、教員と子どもたちとの間に教える者、教えられる者という上下関係が教室の中に生まれることになったのである。
 また、軍人養成、教員養成の場として、寄宿舎での生活が人間関係の育成を中心に行われることになり、この生活の中で、上下(先輩・後輩)関係を根幹とした縦の人間関係、同期という横の結びつきが重視されることになった。この関係の中で行われた教育が体罰(私的制裁)的な色彩の強い行為であったと解することができる。
(3)戦前も体罰禁止の時代であった
 「戦前は学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だった」という。このことを管賀江留郎氏は『戦前の少年犯罪』(注2)の中で次のように述べている。
「戦前は体罰が絶対悪で、明確に犯罪として処理されていたのです。(中略)戦前の新聞を読んでいる方なら、教師が生徒を殴ったりすると警察が出てきて傷害罪で取り調べをすることはご存じのはずです。学校内での生徒同士の傷害事件や生徒が教師を殴るような事件には警察はまず手を出しませんが、教師には厳しく臨みます。(中略)法律で体罰は禁止されているのですから訴訟となると教師に勝ち目はありません。校長も責任を取らされるので、平身低頭しても何とか訴訟まで行かないで収めようとするのです。 (中略)陸軍で体罰が発覚すれば、傷害罪で軍法会議に掛けられ戦時中は罰金20円ほどがとられました。」
 日本の軍隊は徴兵制で構成されており、二年の兵役が課せられたが、日中戦争が泥沼化すると、兵役延長が行われ、三年兵という制度が新たに設けられ、二年の兵役が終わっても退役できず、いつ故郷に帰れるかわからないという不満が爆発し、三年兵以上による新兵いじめ、上官への暴行が行われるようになったという。(映画・真空地帯等にその例がある)
 戦前の「小学校令」、「国民学校令」においても、「教育上必要ト認メタルトキハ児童ニ懲戒ヲ加フルコトヲ得 但シ体罰ヲ加フルコトヲ得ズ」とあったが、不法な「私的制裁」が行われていたという。学校における私的制裁的な行為は、戦後になっても上級生、下級生の関係の中に残っており、また、軍隊生活を経験した若者が教員として教育の場に入ってきたとき、教育指導などにおいて、体罰という名を借りた私的制裁的な行為が行われ、学校内から払拭されずにその後の管理主義教育などのなかで、教育の一手段として体罰による教育が行われようになったといわれている。

4 体罰についてどのように受け止めたらよいか
 文部科学省の初等中等教育局の中に、教務関係研究会という研究組織がある。この研究組織がまとめた『教務関係執務ハンドブック』(2006.11.18)の中に「体罰」についての記述がある。
 「体罰とは、物理的行為によって身体に侵害を加える場合及び生徒にとって社会通念上許されない程度の肉体的苦痛を生じさせるものである。ただし、身体に侵害を加える行為がすべて体罰として禁止されるわけではない。傷害を与えない程度に軽く叩くような行為は、父兄が子供に対して懲戒として通常用いられる方法であり、校長および教員が単なる怒りにまかせたものではない教育的配慮にもとづくものである限り、軽く叩くなどの軽微な身体に対する侵害を加えることも事実上の懲戒として許される。つまり時には、叩くことが最も効果的な教育方法である場合もあり、いわゆる「愛の鞭」として許される程度の軽微な身体への行為ならば行っても差し支えない。しかし、同時に心身の未発達な生徒の人権保護についてはあくまで慎重を期さねばならない。たとえ教育者としての愛情から出た行為であっても傷害を与えるようなものではなくても、なるべく身体の侵害と受け取られるような行為は避けるように努力することが望ましいといえよう。」
 この記述の中に、「軽く叩くような軽微な身体に対する侵害は懲戒として許される」、とある。ともすると、学校では、文全体の流れの中での読み取りではなく、この1行を取り上げて、「軽く叩く行為は体罰ではない、許される行為である」と、体罰容認の考えが出てくることが気になるところである。「軽微」とはどの程度なのか、この行為は懲戒なのか、体罰なのかといった技術論だけで体罰を考え、体罰の論議は、文部科学省、各都道府県、市町村教育委員会編集の「指導指針」に任せておけばよいといった姿勢が、体罰の根絶ということを不可能にしているのではないかと懸念する。
 2007年に文部科学省は初等中等局長名で、「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について」(18文科初第1019号、平成19年2月5日付)の通知が都道府県教育委員会等宛てに出されている。この内容は「問題行動を起こす児童生徒に対して、毅然とした指導を行う」ことを求めたものである。また、「児童生徒の問題行動は学校のみならず社会問題になっており、学校がこうした問題行動に適切に対応し、学業指導の一層の充実を図る」ことを求めたものになっている。また、「体罰による指導により正常な倫理観を養うことができず、むしろ児童生徒に力による解決への志向を助長させ、いじめや暴力行為などの土壌を生む恐れがある」として、体罰による教育的効果を強く否定するとともに、「力による解決への志向」が「いじめや暴力行為」などの土壌をつくりだすという関係についても述べている。さらに、1993(平成5)年3月、「体罰の禁止及び児童生徒理解に基づく指導の徹底について」(通知)が出されている。これらの通知を学校でどう受け止めているのか、これを受けて学校の中で教員による「体罰と教育指導」についての論議がなされたのか、どうか、体罰に対しての学校の取り組みの様子が学校外に伝わってこないのは残念なことである。

5 体罰によらない指導を進めるために
(1)再度、懲戒か体罰かの確認をする
 体罰とはどのようなものか。教育の場においてどのように受け止められているのか、などについて考察してきた。一般的に、「児童生徒の指導に当たって、教員等が行った行為が体罰に当たるかどうか、当該児童生徒の年齢、心身の発達状況などを総合的に判断し、個々の事案ごとに判断する必要がある。」、また「その体罰が殴る、蹴るなどの身体に対する侵害や、長時間にわたって正座や起立をさせるなど、特定の姿勢をとらせるといった肉体的苦痛を伴う行為に当たると判断される場合は、体罰に該当する」と定義づけられている。
 そして通常、体罰と判断される行為は、
@ 身体に対する侵害行為(殴る、ける、つねるなど・ボールペンを投げつける・突き飛ばして転倒させる)
A 肉体的苦痛を与える行為(用便のため室外に出ることを許可しない・指導のため長く別室に留め置き、一切室外に出ることを許可しない・正座等を長時間にわたって保持させる)などがその例として示されることが多い。
「懲戒」として認められた懲戒行為、正当な行為としては放課後などに教室に残す、授業中教室に起立させる、学習課題・清掃活動を課す、立ち歩きの多い児童生徒を叱って席に着かせる、教職員に対し暴力を振るった児童生徒の身体を押さえつける、他の児童生徒を殴った者の方を引っ張って外に出す等がその例として示されることが多い。このため、体罰と判断される行為として示されてものについては行わないようにする、これ以外のものは体罰とはされていない、だからやってもいいのではないかと簡単に受け止めてしまう甘さがないだろうか。
正座    このため、体罰とは何か、懲戒とは何かの論議が、1947(昭和22)年3月31日に学校教育法が制定されて以来、2014年の現在に至るまで60年以上にわたって論議されてきたが、体罰はやってはいけないことであるとわかっているが、その解決策を見いだせないままになっている。そして、体罰が繰り返されるというのが現状である。
 体罰の問題が発生した時、学校の姿勢はひたすらお詫びということに終止する。もちろん、このことは大切であるが、しかし、その後、学校内で教育改善のための議論が十分に行われたということが聞こえてこないのが残念である。
 この背景として考えられるのは、学校の管理職、教職員が体罰の問題に対して、混乱が収まってしまうと、体罰を生み出さないための環境づくりに取り組もう、児童生徒にわかる授業づくりに取り組もうという熱い気持ちが時間の経過とともに冷えてしまうというところに課題があると考える。問題が発生した時、それから、この行為が体罰か否かの論議が始まるという取り組みだけは避けなければならないことである。
(2)人権尊重の視点で学校生活を振り返る
 これまで述べてきたように、体罰とは何か、これを明確に規定することは難しい。しかし、私的制裁的な暴力行為は明確に判断できる。学校教育法の中に「体罰を加えることはできない。」と定められていながら、この条文を積極的に学校教育の中に生かそうとする研究・研修が十分に行われていないのが残念である。
竹刀    はっきりしているのは、体罰が矯正のために行われているのではなく、私的制裁、すなわち暴力による鬱憤晴らしといった面が強いということである。この私的制裁的な暴力行為に対しては厳正に対処するという姿勢を学校の中に醸成される必要がある。このため、管理職、教職員のなかに児童生徒の人権を尊重するという研ぎ澄まされた人権意識を創り上げていく必要がある。
@ 体罰は人間のやる気を失わせる
A 体罰は人としての自主性や積極性を失わせる
B 体罰は暴力的な態度以外の方法で人と付き合う方法を思いつかなくなる
C 体罰は暴力を肯定する人間をつくってしまう
 体罰で問題の解決を図ることは絶対に行ってはならない。教職員はきちんと自らの行為に責任を持って行動することが必要である。このことを自覚し、自制することが大切である。また、これまでの教育への取り組みに対する反省と、未来を展望した教育を推進することの必要を認識し、授業改善に取り組む姿勢を確立することが大切である。
 児童生徒はみな良い子どもたちであって素直に教員の指示に従って行動することができる、といった時代は過去のものとなりつつある。「誰でもいいから人を殺してみたかった」「まず手始めに小さい生き物を殺してみた」という児童生徒が増える傾向にある。2014年10月17日の読売新聞に、「小学生の暴力1万896件、過去最高に」との見出しで、2013年度の問題行動調査結果が報じられている。小学生が被害者から加害者となるケースが目立ってきており、大阪府教育委員会によると、加害者となった1,2年生の児童数は5年前の5倍に上ったという。小学生の低学年の児童が被害者であった時代は過去のものとなりつつある。学級崩壊、小1プロブレム・中1ギャップ、暴力行為など、これらは体罰という指導では解決できない問題である。
 家庭生活にあっても親から認められない子供、親からの虐待、体罰を加えられる子供、子殺しといった子供たちの受難の記事が新聞紙上で多くみられるようになってきた。
 暴力を是とする児童生徒、あるいは家庭での暴力、これに対して、学校教育は体罰を非とする立場で対応する必要がある。児童生徒の心の中に飛び込み、その原因を探り、解決のために積極的に取り組もうとする学校や教員の姿勢や取り組みが体罰問題の解決に繋がるのではないかと受け止めている。

◆ 注 釈
注1 『体罰の社会史』新書版   江森 三郎 著  新曜社  2001.4.25
注2 『戦前の少年犯罪』     菅賀江留郎 著  築地書館 2007.10.30
◆ 参考文献: 文部科学省等からの通知・刊行物・新聞記事など
◆ 画像引用:1〜4 (Google)
( 2015/01/05 記)  

以 上


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