提言93: オリンピック・パラリンピック教育の推進を推進しよう
はじめに
2020年のオリンピック・パラリンピックの開催都市が東京に決定した。今後、開催までの準備期間を経て『平和の祭典』を迎えることになる。現在の小学校高学年、中学校、高等学校の児童・生徒は、開催時に20歳前後となり、観戦者としてのみならず、選手として、ボランティアなどの係員として参加することが考えられる。2020年の大会が成功するかどうかは、私たちがオリンピック・パラリンピックの理念について理解し、積極的にかかわることが不可欠である。その実現のためには学校教育の果たす役割は多大なのもがある。そこで、これまでのオリンピック教育の取り組み等をふまえつつ、今後のオリンピック・パラリンピック教育に向けての展望を述べてみたい。
1 オリンピック教育とは
オリンピック教育とは、スポーツやオリンピック(パラリンピック等を含む)を題材にして、「国際理解を深め、国際平和の重要性を理解し、他者に貢献し得る力を養うための教育」と位置づけられている。
より具体的な実践内容として、
(1)オリンピックの理念(オリンピズム)と歴史の学習
(2)オリンピックに関連した文化や社会問題等に関する学習
(3)オリンピックの精神やスポーツの価値についての学習
の三つに大別できる。
オリンピックの精神やスポーツの価値とは、スポーツを通して共通にみられるポジティブな価値観のことで、たとえばフェアプレイの精神、努力することの大切さ、他者に対する尊敬の念や友情、互いに理解し合うことの大切さなどである。こういった社会生活において重要な価値観を理解、実践することを通して、国際理解や異文化理解を深め、国際平和に寄与し得る人材を育成することが、オリンピック教育の目標である。
オリンピック教育のねらいは、単に「オリンピックを学ぶ」ことだけではなく、オリンピックを題材として、世界に広がる多様な価値を学ぶことにある。オリンピックの理想を取り入れながら、体育やスポーツという分野にとどまらない教育活動や文化活動が対象や目的に応じた方法を用いて、実践が深まることを期待したい。
2 日本におけるオリンピック教育の歩み
〜 東京大会(1964年)におけるオリンピック教育 〜
日本では、1964年に開催された東京大会を契機として、オリンピックについて学ぶことを主眼とした「オリンピック学習」を中心に、オリンピック教育が継続されてきた。その内容は、オリンピック東京大会の成功を目指して展開された「オリンピック国民運動」とかかわって行われた。「オリンピック国民運動」とは、オリンピック精神の普及・高揚および市民性の向上を図ることを主眼としたもので、オリンピック理解、国際理解、公衆道徳高揚、商業道徳高揚、国土美化、健康増進を目指した運動であった。文部省は、児童生徒にオリンピック精神を培い、日本人としての自覚に立ちながら国際親善と世界平和への態度を養うことを目的として、次の内容を通達した。(「学校におけるオリンピック国民運動の取り扱いについて」(昭和39年4月)
(1) オリンピックの起源、意義等を理解し、スポーツマンシップを養うとともにスポーツに対する興味や関心を高める。
(2) 日本人としての自覚と誇りを身につけさせるとともに国際理解につとめ、国際親善につくす心情を養う。
(3) 開催国の一員として社会の相互連帯の関係を認識し、お互いに助け合い、意義のある行為をする習慣をつけさせるとともに、公共心、公徳心を養う。
これと連動して東京都内各区でオリンピック学習が展開された。
1964 年には、社会教育の場でもオリンピック教育が各地で展開された。社会教育諸行事、青年・成人・婦人の学級講座、成人学校、社会教育施設の行う事業、職域職場の社会教育
の場で以下のような趣旨で行われた。
(1) オリンピックの理解(オリンピックの歴史、オリンピック精神、スポーツマンシップ、東京大会の特徴)
(2) 日本人としての自覚と国際理解(開催国の自覚と誇り、日本の歴史,文化、諸外国の文化や生活習慣、外国人へのエチケット)
(3) 公衆道徳の高揚(公衆道徳、交通道徳、商業道徳、生活環境の清掃美化)
(4) 健康の増進(東京大会を契機に健康の尊さを理解)
社会教育は、オリンピックへの関心を高め、理解を深めるとともに、多くの外国人の来訪に対して、日本人として彼らを受け入れるための基本的な態度や知識を身に付けることを目指した。東京オリンピックを契機にインフラ整備を行って戦後復興と発展を内外に示すとともに、平和を愛し、国際的にも通用する態度を備えた日本人であることをアピールするために、社会教育が行われたといえる。
特に、日本人の品位の向上、外国人客に親切に接すること、ユーモアを解する気持ちのゆとりをもつこと、などのように、マナー教育が行われたことは特徴的なことである。学校教育や社会教育での展開を考えると、国民に対する一大教育運動であったといえる。
1972年の札幌冬季大会、1998年の長野冬季大会、2016年、2020年東京大会招致活動においても、さまざまな試みが行われていた。特に、長野冬季大会の際に行われた一校一国運動は、その代表例といえる。長野市内の小中学校、特別支援学校の各校が応援、交流する国や地域を決め、文化交流に取り組んだ一校一国運動は、IOCからも高い評価を受けた。また、その後開催された複数の大会において、オリンピック教育プログラムの一部として継承されるとともに、日本国内における国際理解教育の一環としてもインパクトを与えるものだった。
3 パラリンピックの歴史
(1)パラリンピックの原点
国際的な障がい者のスポーツ大会は、1924年に設立された国際ろう者スポーツ連盟(CISS)が、同年にパリで開催した第1回国際ろう者スポーツ競技大会(現デフリンピック)がはじめてである。しかし現在のパラリンピックへと発展した原点は、第二次世界大戦後のことである。
1944年、イギリスのチャーチル首相らは、ドイツとの戦争激化により負傷し脊髄損傷になる兵士が急増することを見越して、兵士の治療と社会復帰を目的に、ロンドン郊外にあったストーク・マンデビル病院内に脊髄損傷科(Spinal Unit)を開設した(1953年に国立脊髄損傷センターと改名)。
その初代科長に、1939年にナチスによるユダヤ人排斥運動によりイギリスに亡命した医師、ルードウィッヒ・グットマン卿(SirLudwing Guttmann)が任命された。
グットマン卿は、スポーツを治療に取り入れる方法を用いた(1944年にパンチボール訓練を導入、その翌年からは車いすによるポロやバスケットボール、卓球などを導入)。
1948年7月29日、グットマン卿はロンドンオリンピックにあわせてストーク・マンデビル病院内で16名(男子14名・女子2名)の車いす患者(英国退役軍人)によるアーチェリー大会を開催。これがパラリンピックの原点である。
グットマン卿は、この当時すでに「将来的にこの大会が真の国際大会となり、障がいのある選手たちのためのオリンピックと同等な大会になるように」という展望を語っている。
この大会は毎年開催され、1952年にはオランダの参加を得て国際競技会へと発展し、これが第1回国際ストーク・マンデビル大会となった(130名が参加)。
(2)国際大会への飛躍
1960年、イギリス、オランダ、ベルギー、イタリア、フランスの5か国により国際ストーク・マンデビル大会委員会(ISMGC)が設立され、グットマン卿がその初代会長に就任した。ISMGCは、オリンピック開催年に実施する大会だけは、オリンピック開催国でオリンピック終了後に実施する意向を表明した(この当時から関係者のコメントの中に、Paraplegic Olympic(対麻痺者のオリンピック)という言葉が用いられている)。
そして同年、オリンピックの開催されたローマで国際ストーク・マンデビル大会が開催された(23か国・400名が参加)。
ちなみに、このローマ大会は、IPC設立後に第1回パラリンピックと位置づけられている。
(3)東京大会とその後
1962年、国際身体障がい者スポーツ大会(IPC設立後、第2回パラリンピックと位置付けられた)の開催に向け準備委員会が設立された。
その委員長に、当時の社会福祉事業振興会会長(元日本障害者スポーツ協会名誉会長)の故葛西嘉資氏が就任した。
葛西会長は、当時グットマン卿に師事していた中村裕博士(社会福祉法人太陽の家やフェスピック連盟の創設者)とともに大会開催の準備を進めた。
両氏は東京大会を、車いす使用者だけではなく、すべての身体障がい者が参加できる「国際身体障がい者スポーツ大会」の開催を決意し、グットマン卿ら関係者に理解を求めた。
そして、1964年に開催された国際身体障がい者スポーツ大会は、東京オリンピック直後に2部制で開催された(第1部は、ローマ大会に続く国際ストーク・マンデビル大会であり、後に第2回パラリンピックに位置づけられた。第2部はすべての身体障がい者と西ドイツの招待選手による国内大会)。
そもそも「パラリンピック」という名称は、「オリンピック開催年にオリンピック開催国で行われる国際ストーク・マンデビル大会」=「Paraplegia(対まひ者)」の「Olympic」=「Paralympic」という発想から、東京大会の際に日本で名付けられた愛称であった。
(4)国際身体障がい者スポーツ大会への発展
車いす使用者だけで行われていた国際大会であったが、1976年のモントリオールオリンピック開催年に行われたトロント大会は、はじめて国際ストーク・マンデビル競技連盟(ISMGF)と国際身体障害者スポーツ機構(ISOD)の共催で行われ、脊髄損傷者に加え視覚障がい者と切断の選手が出場するようになり、大会名は「1976 Olympiad for the Physically Disabled」、愛称「Torontolympiad(トロントリンピアード)」と呼ばれた。
また同年、ISODが中心となり切断者による冬季大会がスウェーデンのエンシェルツヴィークで開催された(IPC設立後、第1回冬季パラリンピックと位置づけられた)。
1980年3月、グットマン卿逝去(享年80歳)。この年、視覚障がい者の国際的なスポーツ団体である国際視覚障害者スポーツ協会(IBSA)が設立された。大会は、モスクワオリンピックの開催年であったが、西側諸国のボイコットの影響もありオランダのアーネムで開催された。大会名は「Olympics for the Disabled 1980」とされ、脳性麻痺選手の出場も認められた。
同年2月、ISODにより、ノルウェーのヤイロにおいて第2回冬季大会が実施された。1984年1月、冬季大会がインスブルックで開催され、21か国から419名の選手が出場した。またこの年は、ロサンゼルスオリンピックの開催年でもあった。
当初夏季大会の会場は、車いす競技をイリノイ州で、その他の身体障がい者競技をニューヨーク(この大会からその他の身体障がい者も参加できるようになった)で行う予定であった。しかしイリノイ州が、財政難を理由に大会4か月前に急遽キャンセルしてきた。このため、ISMGFが車椅子競技を引き受け、英国のストーク・マンデビル病院で実施したのである。(この車椅子競技大会は、IOCの承認を得てパラリンピックと名乗っている)。当時の正式名称「The International Games for the Disabled」。
(5)パラリンピックが正式名称に
1985年、IOCは国際調整委員会(ICC)がオリンピック年に開催する国際身体障がい者スポーツ大会を 「Paralympics(パラリンピックス)」と名乗ることに同意した(オリンピックスという言葉を名乗ることは禁止された)。
しかし、従来のパラリンピックという言葉は、対麻痺者のオリンピックという意味であったことから、身体障がい者の国際大会になじまなかったため、パラ=Parallel( 類似した、同様の)+Olympics(オリンピックス)と解釈することになった。
(6)競技性の高いスポーツ大会へ
1986年、聴覚障がい者の国際スポーツ団体である国際聴覚障害者スポーツ協会(現 国際ろう者スポーツ委員会=ICSD)と国際精神薄弱者スポーツ協会(現 国際知的障害者スポーツ連盟=INAS-FID)がICCに加盟した。
しかし、ICCは国際障がい別団体の会長や代表などにより組織されていたため、実働組織として十分に機能していなかった。そのため、リハビリの延長ではなく競技性の高いスポーツ大会を望む多くの競技者やスポーツリーダーから不満が続出していた。
そこで、1987年、アーヘン(オランダ)での会議が世界の情勢を大きく変えた。これらの不満を解消するための特別委員会を設立し、すべての競技者、組織や国・地域(スポーツ組織が独立している地域を含む)の統一組織の設立について模索がはじまった。
1988年、ICC主催により「ソウルパラリンピック」が開催され、61か国から3、057名の選手が出場した(聴覚障がい者と知的障がい者の出場は認められていなかった)。
この大会は、オリンピック組織委員会がオリンピックとパラリンピックを連動させた、はじめての大会であった(オリンピックで使用した会場も使用された)。
同年1月、前回同様インスブルックにおいて第4回冬季大会が実施されている。
(7)国際パラリンピック委員会(IPC)設立
1989年9月22日、ドイツのデュッセルドルフの会議において国際パラリンピック委員会が創設された。
それ以来、パラリンピックは障がい者にスポーツ活動の機会を提供する理念「機会均等と完全参加」と、「障がい者のスポーツのエリート性」を表す言葉になった。
初代会長には、カナダのロバート・D・ステッドワード博士が就任した。
1997年、ドイツのボン市がIPCの本部誘致に成功。当時、ドイツの首都がボン市からベルリン市に移転したことにより、ボン市は国際的なステイタスを失うことを危惧していた。そこでボン市は、築100年以上の歴史的な建物と改築費を提供し1998年9月にIPC事務局が始動した。それと同時に、IPCの事務を引き継げる14名の専門チームを募集し、それ以来、効率的でプロフェッショナルな事務局運営がなされるようになった。
(8)世界最高峰の障がい者スポーツ大会へ
2000年、第11回シドニーパラリンピック開催。大会期間中、ファン・アントニオ・サマランチIOC会長と、ロバート・D・ステッドワードIPC会長によってIOCとIPCとの協力関係に関する話し合いが持たれ、「オリンピック開催国は、オリンピック終了後、引き続いてパラリンピックを開催しなければならない」との基本的な合意に達した。
さらに2001年6月19日には、スイス・ローザンヌにおいて、IOCとIPCの両会長によって、IOCとIPCとの協力関係に関する2度目の話し合いが持たれ、より詳細な協力関係に関する合意がなされるなど、「もう一つのオリンピック」と呼ばれるにふさわしい、世界最高峰の障がい者スポーツ大会へと発展し続けている。(日本パラリンピック委員会HPより)
4 東京都におけるオリンピック・パラリンピック教育の実際
2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催を受け、東京都ではオリンピック・パラリンピック教育を強く推進するための方策を教育庁主要施策に示している。
(1)平成27年度教育庁主要施策
取組の方向11 「オリンピック・パラリンピック教育を推進する。」においては以下のような内容である。
@ オリンピック・パラリンピック教育を推進するため、学識経験者、オリンピアン・パラリンピアン等で構成する「東京のオリンピック・パラリンピック教育を考える有識者会議」を開催し、教育の基本理念や具体的施策を専門的な見地から検討審議する。
A オリンピック・パラリンピック教育推進校を300校から600校へ拡充するとともに、都独自の学習教材の作成、オリンピアン・パラリンピアンや外国人アスリートの学校への派遣等により、幼児、児童・生徒が、オリンピック・パラリンピックの歴史・意義や国際親善などその果たす役割を正しく理解し、我が国と世界の国々の歴史・文化・習慣などを学び交流することにより国際理解を深め、進んで平和な社会の実現に貢献することができるよう、オリンピック・パラリンピック教育を推進する。
B 東京パラリンピックの開催に向けて障害者スポーツの普及啓発を図るため、都立特別支援学校において、スポーツ教育推進校10 校を指定し、障害者スポーツを取り入れた教育活動の充実や外部指導者を活用した部活動の振興を図る。
また、障害者スポーツを通じた小・中学校や都立高校の児童・生徒及び地域住民との交流を活性化させ、障害のある人への理解促進を図る。
(2)平成27 年度オリンピック・パラリンピック教育推進校について
@ 趣旨
2020年東京大会開催を踏まえ、幼児・児童・生徒が、スポーツにより心身の調和的な発達を遂げ、オリンピック・パラリンピックの歴史・意義や国際親善などその果たす役割を正しく理解し、我が国と世界の国々の歴史・文化・習慣などを学び交流することを通して国際理解を深め、進んで平和な社会の実現に貢献することができるようになることが重要である。
平成32年(2020年)の東京大会までの間、様々なオリンピック・パラリンピック教育を展開していくために、その教育実践の研究開発を行う。
(3)実践例
@ 千代田区立お茶の水小学校
平成27年度東京都教育委員会 オリンピック・パラリンピック教育推進校研究開発校
平成28年1月18日(月)に研究発表会を開催した。【資料1】参照
A 渋谷区立広尾中学校 【資料2】参照
平成27年度東京都教育委員会 オリンピック・パラリンピック教育推進校研究開発校
参考文献
・オリンピック教育とは 嘉納治五郎 嘉納治五郎記念 国際スポーツ研究・交流センター
・パラリンピックとは パラリンピックの歴史 日本パラリンピック委員会
・2020 年オリンピック東京大会に向けてのオリンピック教育の展望
筑波大学教授 真田 久 学研小学校体育ジャーナル74
・国際理解・国際平和教育としての『オリンピック教育』
筑波大附属学校オリンピック教育推進専門委員会報告書(2011年度)
・東京都教育施策大綱 〜「世界一の都市・東京」で活躍する子供たちのために〜
・平成27年度教育庁主要施策
・千代田区立お茶の水小学校 研究紀要
・渋谷区立広尾中学校HP
【資料1】 千代田区立お茶の水小学校
T 研究主題
1 研究主題 21世紀をたくましく生き抜く子どもの育成
〜 オリンピック・パラリンピック教育を通して 〜
2 研究主題設定の理由
我が国さらには世界の将来像として、健康長寿社会、思いやりや正義感に富んだ社会、平和と友好に満ちたグローバルな共生社会等の構築が求められている。こうした中、オリンピック・パラリンピック教育は、人々が幸福で豊かな生活を営む基盤となるスポーツや世界最大のスポーツの祭典であるオリンピック・パラリンピックを通じて、人々が自己の在り方を高め、より良い社会を構築することを目指すものであるとまとめられている。
本校は、歴史と伝統ある地域に支えられながら、学校教育目標「よく考える子、思いやりのある子、健康な子」を掲げている。その中で、運動やスポーツに親しむ習慣や意欲を育て体力を養うための教育活動を教育課程に位置付けて推進している。
このような現状の中、2020年に迎える東京オリンピック、また、これからのグローバル化が進む変化の激しい時代に向けて、子どもたちが心豊かにたくましく生き抜いていくための資質・能力を育てる必要がある。オリンピック・パラリンピック教育を推進し、この資質・能力を育成することを目指し、本研究主題を設定した。
U 研究内容
1 育てたい資質・能力
オリンピック・パラリンピック教育を通して得られる教育的価値として、次のことが挙げられている。
・努力から得られる喜び(スポーツで自分自身の限界に挑み、相手に挑戦することで、若者は体力、行動力、知力を育む。)
・フェアプレー(スポーツを通じてフェアプレー精神を学ぶことは、社会においてフェアプレー精神に即して行動することを促す。)
・他者への敬意(さまざまな文化の中に生きる世界の若者が多様性を受け入れ、互いに尊敬することを学び平和的な態度をとるとき、平和と国際的な相互理解は促進される。)
・向上心(卓越したものに目を向けることは、若者に前向きで健全な選択を促し、同時に可能な限りベストを尽くそうとする努力の大切さを教える。)
・体と頭と心のバランス(学びは体全体で行われるものであり、単に頭で行われるものではない。身体的な活動は、道徳的かつ知的な学びを発展させる。)
また、東京都教育委員会は学習内容の柱として次の5つを挙げている。
・オリンピック精神の学習
・スポーツに親しむ活動
・国際理解教育・国際交流
・日本伝統・文化の継承
・障害者スポーツの理解
そこで、本校のオリンピック・パラリンピック教育を通して身に付けさせたい資質・能力を次のように考えた。
【資料2】 渋谷区立広尾中学校
1 オリンピック・パラリンピック教育の目標
オリンピックを題材として、世界に広がる多様な価値を学ぶ。
◆オリンピック・パラリンピックの歴史や意義を理解する。
◆国際的なスポーツ大会等が、国際親善や世界平和に果たす役割を理解する。
◆世界の国々の文化や歴史を学び、交流を通じて国際理解を深める。
◆スポーツを通して心身の調和的な発達を遂げる。
◆進んで平和な社会の実現に貢献する態度を養う。
◆東京オリンピック・パラリンピックの成功に貢献する態度を養う。
2 取組内容
(1)留学生との交流(国際理解)
國學院大學の大学生との交流を全学年「総合的な学習の時間」において?う。
第1学年では、2 月頃に日本の伝統文化である「紙切り細工」を一緒に体験する。
第2学年では、7月頃に(3)において調べた内容を留学生及び広尾高等学校生徒に対し発表する活動を通じて、行う。さらに、12 月頃にも、交留を行う。(テーマ未定)。
第3学年では、7月頃に広尾中学校を紹介する交留を行い、留学生とのコミュニケーションを図る。さらに、11月に日本に来たばかりの留学生に対して、日本の文化を紹介する
とともに、留学生の祖国の文化について教えてもらう交留を行う。
(2)福祉教育(障害理解)
第1学年「総合的な学習の時間」において、4月から9月にかけて、障害者スポーツやパラリンピックを学び、9月に本校を会場として行われる、ブラインドサッカー関東リーグにおいて、生徒自身がボランティアとして参加する基礎的・基本的な知識や意欲、態度につながるように取り組んでいく。また11月には、障害理解を目的として、日本赤十字看護大学と連携し特別授業を行う。併せて、日本赤十字総合福祉センターにおいて高齢者や障害者にかかる福祉の現場についても知る機会を得る。時期は未定だが、パラリンピアンと交流する機会を設定する。
(3)都市開発の学習
社会科及び「総合的な学習の時間」を使い、
第1学年においては、2月頃に、オリンピックに向けた東京都及び渋谷の都市開発について、渋谷区都市整備部等からの協力を得て調べたり、それらに携わる人々との交流をもったりしながら理解を深める。
第2学年においては、5月から7月にかけて「2020 Tokyo Future Project」と題して、オリンピックに向けた東京都及び渋谷の都市開発について、渋谷区都市整備部等からの協力を得て調べたり、それらに携わる人々との交流をもったりしながら理解を深める。さらに、白根郷土歴史博物館・文学館の協力を得て、渋谷川についても調べたり、歴史的な資料を見せていただいたり、などの活動をとおして学び、12 月頃に、現在の渋谷川の地下工事現場を見学する。
(4)その他
◆オリンピック・パラリンピック協賛企業であるPanasonic と一緒に、道徳の授業やオリンピアン・パラリンピアン等の交流などを実施する。
◆保健体育の授業において、パラリンピックの種目に取り組む。
◆体力向上 朝ランニングを今年度も継続的に実施する。
◆地域でのボランティア活動(地域運動会、地域清掃、ブラインドサッカー大会等)に参加する。
3 オリンピック・パラリンピック教育年間指導計画@A( 平成27年度案 )
4 総合的な学習の時間の指導計画
5 実践の様子 別紙3
| |